2007年09月21日

神に挑むのか??はたまた??

 久しぶりにシアター・コクーンへ出かけて、『ドラクル』を観たのは19日。感想を書くつもりが、あれよあれよ・・と日にちばかりたっているではないか??日暮れもずいぶん早くなり、6時半、渋谷到着の頃には、かなり暗くなっている。

  『ドラクル』は、長塚圭史さんの作・演出、出演は市川海老蔵、宮沢りえ、永作博美、勝村政信・・・など、実に贅沢な芝居。
 
 18世紀末のフランスの森の奥に住む夫婦、妻・リリスは病がちで、床に伏す日々、夫・レイも、顔色は青白く、昼に姿を見せない。夫は、実はドラキュラ・・・だが、最愛の妻(妻にも子殺しの過去がある)との日々のために、過去の悪行を悔い、生き血を吸うことを断っている。
 そんな彼らのところに、ドラキュラの仲間がちょっかいを出したり、リリスに横恋慕する医師があったり・・・、さらに、リリスの元夫が、司教にそそのかされて、リリスを連れ戻すべく、使者を送りこみ、彼女は連れ去られる。
 この事態に怒り、心乱されたレイは、ついに吸血鬼として復活をとげるのだが・・・。

 弦楽四重奏の生演奏が無気味な音楽をかなで、まさにゴシック・ホラーな作品。ドラキュラが対峙するのは、実は、神なのか。過去の悪行の許しを乞うが、神の試練は続き、許しはなかなか届かない。
 『はたして神はいるのか?』『神はひとを許すことがあるのか?』と、猜疑心もつのる・・・という心理状態は、ある意味、現代の混沌、混乱の世に、神を考える我々の気持かもしれない。

 正直、長い芝居だった。あと、前後半がまったく二分されていて、出演者も全編登場は主役の他は、狂言回しの男と、使いのものなど、わずか・・・。なんだか、もったいないような・・・と思ったのは、先頃、『ロマンス』でひとり何役も演じわける芝居を観たからかも・・・(苦笑)。1幕と2幕、役を変えて演じることも可能?なのでは??なんて・・。

 ドラキュラのレイを演じる市川海老蔵さん、さすが歌舞伎役者。禁「生き血」の1幕のレイが、妻を奪われた怒りから吸血鬼へ戻るあたりの芝居は、これぞ!歌舞伎の『にらみ』か???と思ったりしました。宮沢りえさんは、病に苦しむ妻にぴったり、スリムで、美しい。
 長塚さんの作品としては、おとなしい?よう・・だったけれど、観終わって、あれこれ、作者の真意を考えるという感じは、嫌いじゃないです。まあ、もうちょっと、短くても良かったような??
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2007年09月06日

嵐の前

 目下、台風9号が関東を目指している状況のようですが、まだ、ふつうに雨が降っている状態です。

 昨日は、すでに『台風9号』が関東ヘと向かうコースをとっていると天気予報ではあるものの、時折、雨が降る程度。
 そんな天気の中、とりあえず、猛暑に耐えて作成した冊子『坂川』もできあがったし、自主的にご褒美の休みを取りました。そして、世田谷パブリックシアターで公演中の『ロマンス』を母と見に行ってきました。

 井上ひさしさんのこまつ座と、シスカンパニーの公演、チェーホフの生涯と、彼の芝居についての考えを、実はボードヴィルという笑いを追求した形で表現しようとしていた・・・って、これは井上ひさしさんの芝居に対する考えをチェーホフを借りて表現した芝居でしょうか??
 大竹しのぶさん、松たか子さん、段田安則さん、生瀬勝久さん、井上芳雄さん、木場勝己さんという6人の出演者、芸達者な皆さんが、何役も演じ分けて、とても見ごたえのある芝居でした。
 
 しかし・・・、チェーホフが実は、私には良く分からない作家で・・、彼の戯曲は『かもめ』と『3人姉妹』を読み、芝居は『かもめ』を二度みましたが、分ったか・・・と問われたら、さっぱりわからない・・・。
 特に、ボードヴィルを好んだという井上さんの解釈を踏まえると、あの『かもめ』のどこにボードヴィルがあったのか?・・って気もするけれど・・・。結局、スタニフラススキーの演出の影響が今にいたっているからなのか??
 そもそも、戯曲として読んだ時も、けっこう難解だったような・・・・。まだ『3人姉妹』はモスクワへ旅立とう、そうすれば何か・・・あらたな展開が始まるだろう・・・、でもなかなかそのふんぎりがつかない・・・という、あたりに、ある種の共感はあったけれど・・・。
 だから、今回の井上さんの解釈のチェーホフ像は、新鮮でもあり、でもちょっと、すんなり受け入れられない部分もあり・・‥・。
 ミュージカルではないけれど、音楽劇、歌を交えて演じられる・・・その役者さんたちの演技力は、たっぷり楽しみました。
 しかし、3時間を越えると、相当立派にクッションのある自前のお尻もかなりつらく・・・・、世田谷パブリックシアターの座席に文句たらたらになってしまったのでした。

 この芝居で、チェーホフの晩年に訪ねて来たトルストイだったら、『お尻が痛いくらい、たいしたことはない、芝居がつまらないよりはまし』とかっていわれちゃいそうですが・・・・。
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2007年09月03日

カッコ良いウエスタン!!

 昨日は劇団M.O.P.の年に1度の公演を見に紀伊国屋ホールへ馳せ参じました。『エンジェル・アイズ』・・・って、登場人物の
ひとりの名前なんですが、でも中心的役割でもなさそうな・・展開??なに、どうなっているの??と早くもまんまとハマってます。

 最初にこの劇団の芝居を見たのは2001年『ジンジャー・ブレッド・レディはなぜアル中になったのか』でしたが、なぜこの芝居を見ようと思ったかと言うと、その前年に『水の記憶』という芝居に出演していたキムラ緑子さんが非常に印象に残っていたし、さらに、NHKドラマの『ある日 嵐のごとく』の脚本家 マキノノゾミにもとても関心があったので、出かけてみたわけで・・・あっさりと・・・ハマりました。

 年に1回の劇団公演。今回は初期作品の再上演。いまさらながらの西部劇です。舞台で西部劇って、かなり大変でしょう。なにしろ、どう見せるか??悩むこと多いと思います。

 舞台となるも町は『トゥームストーン』ということで、装置もなにやら、墓場を連想させるものだったり、酒場のシーンなどの装置変換も出演者がせっせとやっていたり。ホント、面白いです。
 まあ、M.O.P.は大人がおバカをやる劇団なで(褒めてます)、西部劇に欠かせない馬も、 モップの柄に馬の頭をつけて、それにまたがって・・・すませちゃう素晴らしさ。それに、最初は笑っていても、やがて、リアルな馬に見えてくるから凄い!!
 
 西部開拓時代の有名人勢揃い、ワイアット・アープにカラミティ・ジェーン、ドク・ホリディ、パット・ギャレット・・・などなど、かつてのOK牧場の決闘の再現を企む・・・って、ことで、各人入り乱れて・・・・もう大変です(舞台が狭過ぎる!!)。
 キャラが変わっていたり・・・、まあ、そのドタバタぶりがホント、楽しい。大の大人が、西部劇ごっこ・・・なのに、なぜか、ちょっと胸ドキドキ、時に、ほろっとしたり・・・。

  これはもう、『ザ・エンターテイメント』・・・まさに定冠詞付きの芝居、見終わって、後腐れなく、でもすごく上質のお楽しみに満足、満足・・・。オープニングとエンディングの劇団員全員の楽器演奏。まだ2曲だけっていうことですが、とっても楽しみ・・・。演じる人たちが楽しんでいる・・・気分が伝わって・・見るものも、日頃の憂さをすっかり忘れることができました。いつまでも、元気に楽しく、エンターテイメント追求して頂きたいです。


 また、来年の公演、たのしみにしているから〜〜〜!!
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2007年06月10日

怪しい天気にも関わらず・・・

 昨日は予報に従って傘を持参もまったく使用せずでしたが、本日は出かける前から怪しい気配。なにやら雷も遠くに聞こえだしたので、時間より早めに出かけ、とりあえず、電車にのっちゃえい===。電車 

 ということで、遠路、久々に下北沢へ・・・。下車したら、なんと土砂降り 雨。もう、道は川のようだし・・・とても歩き出す気にはなれず、駅でしばし雨宿り。幸い、まもなく、多少マシになったので、本多劇場を目指しました。下北沢の街は、これまで、何度も迷ったけれど、2年ぶりながら、今回は迷うことなく到着してホッ!!

 加藤健一さんの劇団の芝居『モスクワからの退却』を見ました。結婚33年の夫婦の危機を、ナポレオンのロシア遠征からの悲惨な退却になぞらえて・・・なんとも、皮肉な苦味もあるお芝居。出演者はたった3人、膨大な台詞をよどみなく語り、シリアスな中にコミカルさもある家族のドラマ。

 結婚についての男女の思いの違い・・・・、とりあえず、何も考えずに済む居心地の良さを求める夫と、愛を確認したい・・・妻とのすれ違いは・・・笑いを呼びながらも、身につまされたりもするけれど・・・。原作、ウィリアム・ニコルソン、男性視点だなぁ??? つい夫のエドワードに同情する展開、良く出来たひとり息子が二人の間をとりもって・・・、なんか、妻はやや不利な状況。
 まあ、日本的感覚では、結婚30年以上もたったら、今さら夫に愛の表現を求めてもね〜〜・・・って感じで、『所詮、結婚を長続きさせるには、お互いだましだまし・・・』なんて気分になりがち??ではないかなぁ(エ〜〜〜、私だけ)?? 

 というわけで、この芝居の妻の思いが分かりつつも、まあ、『そこまで求めてもね〜〜』なんて・・・複雑な気分でした(笑)。隣の男性は思い当たるところがあるのか、かなり、笑っていたなぁ・・・・。

 土日に2日連続のシアター・ゴア−は、『なんとも贅沢じゃ・・・!!、ムフフフ・・』と一人にんまりでした。わーい(嬉しい顔)
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2007年05月25日

ほしいな、魔法のペン

 昨夜は久々のパルコ劇場で、『魔法の万年筆』という芝居を見て来ました。作・演出は鈴木聡さん、過去に2作拝見したけれど(『謎の下宿人』と『裸でスキップ』)、いずれも、昭和の失われゆく風俗や心意気などを愛おしみつつ、時代の流れに逆らえないほろ苦さもある人情味いっぱいの作品でした。そういえば、鈴木さん、来年4月からのNHK朝ドラの脚本を担当と発表されたばかりでもありました。

 ところが、今回の『魔法の万年筆』は1920年代のニューヨークが舞台、『ニューヨーク、ニューヨーク、渋谷でもニューヨーク』とジャズの流れる中、口先ばかり達者で、小説はまるで書けない若き作家、パーカーが魔法のようにスラスラと小説の書ける万年筆を5ドルで入手。あら不思議、次々にヒット作品が書けるようになり・・・、しかも、万年筆売り場の可愛い店員デルタとも恋に落ちて・・・前途有望のはずが・・・・。

 ありがちなお話かも知れませんが、達者なキャスト、あれよあれよの場面転換、楽しいドタバタコメディの中に、人生のほろ苦さや教訓もあって・・最後にちょっとしみじみ・・・と思ったら、そうはさせない、どんでん返しもあり・・・、それなりに楽しいお芝居でした。出演者の役名がみな、有名な万年筆やらインクやらから取られた・・というお洒落な遊び心もよかったです。

 いつも、メッセージ性の高いシリアスなお芝居ばかりでは疲れちゃうし、ライトなコメディでも、案外、じわじわと心にしみて来たりすることもあるわけで、このお芝居でも、浮気なパーカーにあっさり裏切られて、1ヶ月泣き暮らしたデルタが、父の後継者として万年筆づくりに没頭して技を身につける・・・という生き方に励まされたりもしました。

 演じ手がみな楽しそうに演じていて、良かったです。

 主役の口先男で、女にだらしない小説家パーカーは、稲垣吾郎君。98年たまたま見たつかさん作の『広島に原爆を落とす日』(再演)の主役だった。『え〜〜〜、芝居ってこんなに面白いものだったのか』と思った縁で、その後、かなり見ていますね〜〜。昨年の『ヴァージア・ウルフなんか怖くない?』は年間ベストスリー(当社比?)の作品でしたっけ。まあ、昨年の作品とは、まるで、肌合いも濃度も違いましたが、生で演じられる芝居の楽しさは、今回もひしひしと伝わったのでした。

作・演出 鈴木聡 
出演者:稲垣吾郎、西牟田恵、阿南健治、久世星佳、山崎一、河原雅彦、小林隆、三鴨絵里子
美術:二村周作 
音楽:本多俊之

 ところで、写真は、まるで、無関係のミニ蘭・・・ですが、これは数年前に知人からのプレゼントで、当然、翌年からはまったく花の咲く気配もなかったのに、あら不思議、つれあいが世話しだしたら、見事花を咲かせた・・・という訳で、花も人も、諦めたらダメって教訓でしょうか??


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2007年05月16日

期待と感動の相関関係?

 昨夜は、シアター・コクーンに『藪原検校』を観に行きました。井上ひさしさんの傑作戯曲ということで、過去にも何度も演じられていたようですが、私はお初です。井上さんと蜷川さんのコラボは『天保12年のシェークスピア』に次いで2度目。音楽の宇崎龍童さんも『天保』のメンバーです。
 何曲も、歌を挟んで演じられる、和製ミュージカルようでもありました。


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 晴眼者を見返すために悪行の限りを尽くして成り上がっていく杉の市(古田新太)。知性と品性を磨く事こそ晴眼者と対等の場に立つための唯一の道と説く塙保己市(段田安則)。盲太夫という語り手によって進行する残酷なユーモアと風刺満載の物語ということです。

 金のために座頭を殺した親の因果か、盲目で生まれた杉の市は金のために人を殺し、師匠を殺し、師匠の女房に手をつけ、悪行の限りを尽くして、座頭のかしら、検校を目指す・・・・。その根底に、盲人への差別に対する怒りがあるのだろう・・・。杉の市に対して、あくまでも人間性を磨いて対抗する塙保己市の心底にも、冷たい怒りと怨念が見えなくもない・・・。
 暗くて、悲惨な物語を、語る盲太夫(壌晴彦)の長台詞には本当に圧倒された。で、杉の市を演じるのが、古田新太さんとあって、凶悪さより、むしろ愛嬌ある悪役って感じで・・・陰惨さが緩和されていたような気がする。
 塙役他、何役かを演じた段田さんは、さすがにうまいし、声がいいなぁ・・・とまたも感心してました。
 
 原作、井上さん、演出、蜷川さんで、キャストも贅沢となると、期待も高まるから、それ以上の感動って大変だと思うけれど、観終わって、印象に残ったのは、舞台装置と照明、そして、生のギター演奏・・・・。これから、少しずつこの芝居を反すうして、その意味するところを探りたいと思うけれど・・・、ズシーンと射抜かれるような気分にならなかったのは、もしかしたら、チケット代節約で2階席から見ていたからだろうか?迫力がいささい薄まったかも知れず、さらに、座席の前の女性がやけに座高が高いのか?大柄なのか?頭ひとつ、他の観客より抜き出ていて、おかげで、首を右、左と動かして、覗き込む感じが、芝居にはいりこめなくしていたのかもしれないし・・・(結局、前のめりになって観ていたからと分ったけれど、注意できず・・・トホホと運の悪さを嘆いた次第)。
 期待が高いと、それを上回る感動はなかなか難しいということかもしれないなぁ???

 その上、この頃の事件やらニュースやら、杉の市以上の異常さだからかもしれないけれど・・・。

 
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2007年05月03日

抜かった!!

 何の芝居を見たいか?どのチケット争奪戦に参戦するか??実は人気の芝居ほど、わずかな情報で判断しなくちゃならない訳で・・・、まあ、ある意味、『賭』です。がく〜(落胆した顔)

 実際に公演が始まってからの評判で、『うわ〜〜〜、見たかったなぁ・・・』と思っても・・・、人気芝居は当然、前売りはソールドアウト、当日券も、入手が大変そう・・・・ということで、結構諦めています。今さらながらに、『なぜ、三谷作品の「コンフィダント」のチケットに挑戦しなかったんだ??』と、この春は後悔しました。もうやだ〜(悲しい顔)

 そして、今また、『見通しが甘かった』とほぞをかんでいるのが、新国立劇場で6〜7月公演の『氷屋来たる』(ユージン・オニ−ル作)。新国立劇場の芝居は発売から相当経っていてもチケットゲットできるから大丈夫・・なんて・・・勝手な思い込みでした。がく〜(落胆した顔) チケット発売の日なのに、所用もあって、まあ大丈夫だろうと、夕方ぴあにTEL。しかし、話し中なので、夜になってネットでどうかな??と思ったら、なんと、全日ソールドアウトになっていて・・・・びっくり。
 ホント、『舐めたらあかんぜよ・・・』ってことで、今さらながらに、残念なことをしたなぁ・・・と、ちょっと未練たらたらですが、よい勉強になりました。ふらふら
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2007年04月27日

スタイリッシュな写楽?

 さて、水曜日にシアター・コクーンで『写楽考』を見て来ました。
 
 これは、クールでスタイリッシュな演出で定評のある演出家、鈴木勝秀さんが、矢代静一さんの傑作戯曲『写楽考』を大胆に構成し直した作品。謎の浮世絵師、東洲斎写楽は、わずか1年に満たない月日に140点ほどの役者絵を残して、姿を消したために、その人物像について様々な推測、解釈がなされているが、矢代静一さんは独自の解釈で、ひとりの男の人生と芸術の葛藤などを描いています。

 スズカツさんの演出は、写楽らがいわば駆け抜けた時代とその波乱の人生をスピーディに表現していた。

 出演は 後の写楽(伊之)に堤真一さん、後の歌磨(勇助)に長塚圭史さん、後の十返舎一九(幾五郎)に高橋克美さん、伊之の愛人のお加代、その娘 お春のふた役をキムラ緑子さん、伊之の世話をするけなげな娘・お米に七瀬なつみさん、したたかな瓦版の版元、蔦屋重三郎に西岡徳馬さんという、贅沢なキャスティング。

 若き伊之と勇助が暮らす長屋に、転がり込む幾五郎(いわばこの芝居の狂言まわし)。伊之は愛人の商家の女房を愛憎の果てに殺めてしまう。その後、逃亡生活10年を経て、再び、江戸に戻り、すい星のごとく現れた浮世絵師として、役者絵で人気を博すが・・・・。

 若さゆえの無謀さと、後年の生きることに疲れた小心な男と、異なるニ面を演じる堤さん、上手い役者さんだけど、もっと、どろどろとした葛藤を見せてほしかった・・・というか、もっと、泥臭い芝居が生きる作品ではなかったのかなぁ・・・と。写楽と歌磨の絵に対する考えの違い、いわば対立する芸術論なども含め、淡白というか、スズカツさんのスマートさが、この作品にはちょっと似合わないような気もしました。とは言え、今回初の『写楽考』の観劇だったわけで、過去の上演と比べられるわけではないけれど・・・。

 黒を貴重とした大きな格子の木組みの舞台の上方には太鼓と横笛奏者がスタンバイ、音楽はとても印象的でした。

 さらに、伊之と勇助が暮らす長屋や、逢い引きの部屋などのセットが自在に移動したり、時に写楽の描いた巨大な役者絵がスクリーンのように登場したり、洗練された美術はたのしめました。

 見終わって、あらためて、いろんな解釈で、何度も演じてもらいたくなる作品だなぁ・・・と。やはり『写楽考』は魅力的な、そして手強い戯曲だ・・・と思ったりもしました。
 
 
 
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2007年03月16日

良くも悪くも人間って・・・

 昨夜はシアター・コクーンで『橋を渡ったら、泣け』を見て来ました。ネタ晴れとあったブログ評を読むのは・・・我慢して、やはり、まずは自分の目で見なくちゃ・・と。

『橋を渡ったら、泣け』
 土田英生 作 生瀬勝久 演出
 出演:大倉孝二、奥菜恵 八嶋智人、小松和重、鈴木浩介、岩佐真悠子、六角精児、戸田恵子

 近未来?大災害後に生き残った人々が数人、乗鞍岳の頂上附近でかろうじて暮らしている。周辺は海となっているが、そこへ、諏訪湖の観光船が流れ着き、佐田山という男がひとりやってくることで、これまでかろうじて均衡を保っていたコミューン、そこでの人間関係に微妙な変化が・・・。

 実際には、けっこう、笑いもあったけれど、テーマはきわめて重い。極限状況での人間関係の危なさ・・・というと、古くは連合赤軍まで思い出される??、昨今の会社や学校でのいじめも頭をよぎる・・・。
 少人数とは言え、人間が集まると起こる諸問題。ずるい奴もいるし、怠けるものもいる、それらとどう折り合いをつけていくか??規律が必要?でも、それを守らないものをどう従わせるのか?どう処罰するのか?誰がリーダーになるのか?きわめて、難しい問題といえるでしょう。現在、生き残っていた連中も、過去に思い出したくない事件をかかえていたし・・・。

 のんびりと、お互いを認めあっていければいいけれど・・、あっという間に、奇妙な裁判となり、裁判官と被告に分かれ、せめるもの、せめられるものへとなだれ込む・・その怖さ・・、それにこびへつらう者も出て・・・、人間のもろさ、あやうさ、怖さ・・・が、心に残りました。わたしなら、そこで『どうする?』って聞かれたら、一番みっともない奴、どうしようもない愚かな奴になりそうだと、背中に冷汗??って感じもする芝居でした。

 リーダーになったものの、自らの弱さ、愚かしさ、残酷さに、佐田山が気付いて、出ていった(それはそれで、凄い!)ことで、このコミューンはどうにか、ことなきを得た・・・って感じでしたが、けっこう、あとあと考えさせられるテーマだった。まあ、この状況をなんとか、おさめたのが、実は『むずかしいことは、わからないんだ』という八嶋さん演じる井上と言う男だったりするわけで、極端から極端へとぶれないバランス感覚の大切さなんてものを思ったりもしました。 
 達者な役者さんたちによる群像劇として、楽しめたけれど、『橋を渡ったら、泣け』ってタイトルは芝居の中には感じられなかったなぁ・・・。舞台上に小さな橋はあったけれど、それを渡ることに何か意味が重ねられているわけでもなく、登場人物はごくふつうに行き来していて、せっかく、良い感じのタイトルが『泣いているぞ!』
 ついでに、暗転がけっこう多くて長くて・・・その必要性があったのかなぁ???なんて、ちょっと生意気に思ってしまいました(冷汗)。

 でも、結論は、「やっぱり、芝居って面白い」ってことで、お粗末さま。

 
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2007年03月04日

コペンハーゲン、科学者の責任を問う?

 新国立劇場で公演中の『コペンハーゲン』を見て来ました。これはイギリスの劇作家 マイケル・フレインの作品を2001年に新国立劇場で公演し、紀伊国屋演劇賞や読売演劇大賞優秀演劇家賞などを受賞したと言うことで、今回再演となったもの。演出は、前回同様、鵜山仁さん。

 噂に高かったので、喜びいさんで、出かけました。
 1941年、ナチスが占領するコペンハーゲンに暮らすユダヤ系物理学研究者 ボ−ア夫妻を訪ねて来たドイツ人研究者のハイゼンベルクとの3人の会話劇です。

 過去に、深い師弟関係にあったボーアとハイゼンベルク、しかし、時代の激変の中で、翻弄されてしまう3人が語ったものは・・・、その謎の1日を解く???円形の舞台、そのまわりにリングのような、これは、土星のリングかと思ったら、原子だか、中間子だかなんだか??のイメージらしい(って、良くわかっていません)。

 すでに死者となった3人が1941年の3人の対話を再現することで、科学者の苦悩や、祖国との関係、なによりも原爆製造と倫理的問題など科学用語を駆使して語る、難解な芝居。量子力学、相対性原理に不確定性原理、ウラン235、臨界点・・・など、物理学の用語に加えて、アインシュタイン、シュレジンジャー、オッペンハイマーにエトセトラというカタカナの人名、それにヨーロッパ各地の地名など、ちりばめられて、もう、理解するのが大変です。 ついつい、苦手な物理の授業の気分で、うとうと・・・しそうになること、1度ならず。
 こういう堅いテーマで、見事な芝居にしてしまう・・・って、すごいことです。

 それにしても、ボーア役の村井国夫さん、その妻のマルグレーテ役の新井純さん、ハイゼンベルク役の今井朋彦さんは、この難しい、膨大なセリフをよくまあ・・・見事にあやつって・・すごいなぁ・・・!!!

 結局、ナチスのために原爆開発を行なうことは間に合わなかった、その一方でアメリカでも行なわれた原爆開発から、やがて広島、長崎に落とされた事実、それらを踏まえてみると、物理学者が、いかなる理由にしろ、大量殺りくのための原爆開発を行なってはならないことだったと思うけれど、現実には、さらに、ナパーム弾やら劣化ウラン弾など、どんどん、開発されている。そんな現実をみると、ことは学者の倫理観だけではどうにもならないのかなぁ???と、空しく思ったのでした。

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2007年02月15日

07年の初観劇

 昨夜は「春一番」が吹き 台風 雨も激しくなる 雨 との予報。07年初の観劇が悪天候・・・って『ついてな〜い!』もうやだ〜(悲しい顔) でも、めげずに出かけました。

 幸い、出かける時には生暖かい風に少々の雨粒が感じられる程度で、渋谷からシアターコクーンまでも傘はさしたものの、さしたる雨ではなく助かりました。

 さて、ジャン・アヌイの最高傑作という『ひばり』の観劇です。蜷川さん演出、主演は松たか子さんです。

 松たか子さんの芝居で強い印象に残ったのはまず『オイル』でした。それまで、さほど関心のなかった彼女でしたが、高い声で強く訴える力に圧倒されたのでした。以来気になる女優さんで、最近ではTVの『役者魂』までもしっかり見たのでした。

 今回『ひばり』でジャンヌ・ダルクを演じると言うことを知り、これは『期待できるぞ!!』と即座に思ったのでした。 わーい(嬉しい顔)

 久々の劇場、開演前のワクワク感からして、『これぞ芝居のよろこび』です。そわそわとしていると、舞台に次々に登場する人物、中には観客が間違って舞台に上がったのか??と思ったら、そこで着替え出したりして・・・、面白い始まりでした。

 フランスとイギリスの百年戦争終結の糸口を作ったジャンヌ・ダルクが魔女裁判にかけられるというその場面から始まるこの芝居。神の啓示を受けて、フランスを救うために、男の衣裳を身にまとい、軍の先頭にたって、イギリス軍にたちむかうことになったその波乱の人生を、法廷で再現する形で芝居は進みます。無垢な少女・ジャンヌは、『フランスを救え』という神の言葉に従って、巧みに王太子を戦いへと引き込むが、やがて、状況は一転、政治のからくりに取り込まれてしまう。
 政治も宗教も結局、その時々にカリスマ?人気者、時代の先駆者を使い捨てるって・・・ことをあらためて痛感。

 松たか子さんは、スウェットシャツ?というか、ジャージのような衣裳に、短髪で、少年のような無垢なジャンヌを、膨大なセリフにもかかわらず、さわやかに軽やかに・・・見事に演じて、さすがでした(拍手)。
 出演者が全員、この芝居の間中、四角い舞台の三方にすわって陪審員としてずっと見守るかたち、観客はさしずめ傍聴人でしょう。

 宗教と政治、大人の駆け引きと無垢な心、ジャンヌが巻き込まれた宗教家やら政治家、軍人、大人の醜い自己保身やら虚栄、欲望などとの対比から、おのずと、『大空に舞い上がるひばり、それはおまえ、戦う少女ジャンヌ』のピュアな思いが浮かび上がりました。『淫らな夜のあとに、人助けのために自らの命を捧げる』・・・・『人間の矛盾』への賛歌を歌うことでもありました。

 それにしても、民衆や愚かな王の操縦術として『こちらの考えを、さも自分で考えついたかのように思わせる』だとか、『つまらない考えを、何度も繰り返すんだ』などの洗脳テクニックって、なんだか、ここで囁かれたコツは、つい最近、体験したことばかりのようで・・・、思わず苦笑でした。もうやだ〜(悲しい顔)

 休憩を挟んで、3時間半近い芝居は長かったけれど、でも、このジャンヌを見られたことに大満足でした。

 共演の役者さんには、緑の長いマントと金髪のロン毛がすてきな・・イギリスのウォーリック伯爵を演じた橋本さとしさん(昨年9月に大阪のお笑い芸人だったとは微塵も思わせず)、それに、役者は声が命と思わせた異端審問官の壌晴彦さんが印象に残りました。品川徹さんも、厳格な表情で演じられていて、嬉しかったです。

 そうそう、この裁判で、神の啓示と同じくらい、ジャンヌを問いつめたのが、『男の服装』について・・・ってことが、不思議なような、面白いような・・・。だって、ある意味、差別の象徴としての衣裳ということなのか・・・?ってことは、『衣裳のもつ意味』って深い研究課題なのかもしれないなぁ??と。

 まだまだ、ない知恵しぼってみたくなる芝居に大満足でした。最寄り駅についた時にはすでに12時近く、満天の星空となっていたのでした。
 わーい(嬉しい顔)
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2006年11月30日

芸達者な人たち

 昨日紀伊国屋ホールで劇団M.O.P.の芝居『ズビズビ』を見てきました。と、あれこれ感想などカキコみ、アップした・・・と思ったら、なぜか、エラー表示にあわてたはずみに全部消えてしまった。もうやだ〜(悲しい顔)

 もう一度、再生することができるかどうか・・・・。

 手短にいえば、この劇団の芝居はいつも、心あたたまり、後味が良い。痛快な時もあれば、しみじみって感じの時も、決して、イヤな気分にならないのは、ストーリーのみならず、芝居好きの仲間の楽しい気分が伝わって来ることもあるかも知れません。グッド(上向き矢印)

 今回はあるまちの市民会館の楽屋を舞台に、時代も人物もことなる4つのお話からなるオムニバスの芝居。でも、場所の設定だけでなく、ちょっと関連があったり、なかったり。4つの芝居のタイトルをつなぐと『ズビズビ。』になるという仕掛け。いつもは傍役の役者さんが主演をはったり、主演の方々が脇にまわったりで、意外な面白さもありました。

 シェークスピア劇やら、大衆演劇やら、ジャズバンドやら、それぞれに幕開き前やら、幕間やら、その楽屋でおこる様々なトラブルやらスッタモンダやら・・・。人生の機微が時にしみじみ、時にハラハラ、あるいは、なんとも切ない展開で、心を打つ・・・。

 最後の芝居がジャズバンドの仲間の話というわけで、ラストは劇団員の生演奏。サックスにトランペットに・・・と、みな巧みな演奏にびっくり。芸達者な皆さんに大いに楽しませてもらいました。わーい(嬉しい顔)

 こういう芝居を見ると、またぞろ、芝居の面白さにはまって、配布のたくさんのチラシに目を走らせてしまうという、まんまとツボにはまってます。ふらふら
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2006年11月15日

『タンゴ、冬の終わりに』

 昨夜は久々の観劇で、渋谷 シアター・コクーンへ出かけました。『タンゴ、冬の終わりに』は清水邦夫作 蜷川幸雄演出で84年初演、86年再演、91年、イギリスでスタッフは日本人、俳優はイギリス人という形で上演されたという歴史ある作品。60〜70年にかけてのいわゆる「政治の季節」が挫折したその余韻が残る時代の初演と、はるか年月を経た現在に再演する気分はずいぶんと違いそうです。

 冒頭から衝撃的な演出に度胆を抜かれました。客席と対面するもうひとつの舞台上の客席には80数人の若者。彼らも眼前の映画を見ているのか?一喜一憂するさまから、やがて、爆音やら銃声やらにひとりひとり、スローモーションで逃げ出してゆく。そして残った客席にひとりの男。

 かつては人気俳優だった清村盛。「美しいものは早く死ぬべきだ」と突然引退して、故郷の日本海に面するまちで映画館を営む弟のところに転がり込んで3年。彼を追いかけて来た妻をいまでは、30年前に死んだ姉と見まがって、精神を錯乱させている。

 そこへ、かつての恋人、女優の水尾と彼女の夫が現れ、盛の記憶を揺さぶるが・・・。

 映画館の客席が舞台で、いかにもわびしげに出入り口のカーテンがボロボロに揺れている。そこに、突然あらわれる、女優、水尾の白いコート姿が美しい。その彼女を見ても、過去を思い出せない盛だか、新たな恋を始める気配も・・・。(水尾+の常盤貴子さん、ホント美しいです)

 青春が美しいなんて陳腐きわまりないが、失ってから振り返る時、そこには、盛が見る幻の孔雀の美しさが重なって見えるようだ。

 過去の舞台で演じたセリフが、自分の言葉と見境がつかなくなった盛が、そのセリフに触発されてタンゴを踊るシーンが美しい。情熱的で躍動するタンゴと、その対極的なものういサティのピアノ曲の対比も効果的。
 ひとは過去にとらわれ、未来をなくす・・・。悲劇的な最後を含めて、青春のレクイエムが甘美に感じられるって・・・いいのかな?

 心を病む盛を演じた堤真一さんの若々しい苦悩が心に残り、美しい水尾を気遣う凡庸な夫+の段田さんも、さすがにうまい。しかし、一番心に残ったのは、盛を愛し、芝居への情熱をよみがえらせるために、また、のちに錯乱する夫の心の回復を願って、水尾を利用してもと・・・画策する妻を演じた秋山菜津子さん。最後に夫の幻影の孔雀と共に舞い上がることも、あるいは、正気にもどすためにそれは幻影だと指摘することもできなかった妻・ぎんに、人間的共感を抱いたのでした。

 彼女は、悔いを抱いて、この田舎町の間のなく取り壊される映画館を去りますが、最後に冒頭と同じ、若者が、歓喜の内に、見送るのでした。

 『芝居を見る喜び』が確かに感じられて、ひさびさに、余韻を引きづりながら、帰宅しました。

 で、唯一のクレームは、羽ばたかんばかりに心の中に見えていた美しい孔雀の幻影をぶちこわす、リアルなはく製の登場でした。一瞬とは言え、あれは、観客の想像力を信じないのか?と、ちょっと呆れる感じだったんだが・・。
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2006年10月14日

求む 希望!!

 新聞の劇評が芝居を左右するってことは、日本ではかなり難しそうです。新聞に載った頃にはふつう、評判の芝居はソールドアウトだし、当日券は何時から並べばいいのか?2〜3時間の芝居の立ち見は年齢的にも避けたいとか・・・。ふらふら


 今回はいつもロム専門のネット上の劇評を読んだ瞬間に、速攻『出来たら見たい!!』と思い、運よくチケットがゲット出来たのでした。新国立劇場で公演中の『アジアの女』、長塚圭史さんの作・演出です(バルコニー席 3150円ってすごいお得でした・・と突然『おばちゃん感覚』です)。

 長塚さんは、今もっとも注目の演劇人のひとりのようですが、実はその作品は『LAST SHOW』しか見たことがありません。でも、見終わって、決して心地よくはない、むしろ目をそらしたい現実を暴きながら、心に訴えかけるものに、思いきり衝撃を受けたのでした。

 で、今回は『アジアの女』です。これは大震災後の東京と言う近未来を舞台にして、精神を病んだ妹・麻希子、その兄で編集者だった晃郎、そんな二人が暮らす立ち入り禁止地域へ訪ねて来た男は作家の一ノ瀬。過去に編集者の兄・晃郎は作品を書き上げる上でなくてはならない存在だったという、つまりはこれは『書けない男』。
 そんな3人がいつしか、ともに暮らしだし、そこへ訪ねて来る警官やら、ボランティアと称する女が関わるストーリーは、どこか、関東大震災時の朝鮮人虐殺をなぞるような、他民族排斥の動きやら、ボランティアという名のいかがわし気な仕事もあって、混沌の中で、誰もが、病んで、壊れている状況。

 かつて精神を病んでいた妹は、小さな畑を作り、日々彼女に恋心を抱く警官が運んで来るわずかな水をまいている。ほとんど、芽が出る可能性もないかと見えるのに・・・。しかし、他人の小説をパクるか、編集者・晃郎のアドバイスがなければ、何も書けなかった一ノ瀬が、最後に紡ぎ出せた物語り・・・。そして、再び大きな余震のあとに芽生えた植物、どんな時にも、希望はある・・・という感じで、なにやら、ジ〜〜ンと来ました。

 どうも、『希望』にやたらと弱いようです。絶望的な状況ってある意味、日常的なニュースで嫌というほど目にするし、そのどこに『希望はあるのか?』と思ってしまうから・・・、こんな状況でも『ほら、かすかな希望はありますよ』と言われると、たやすく心臓を打ち抜かれるような感じになるわけなんです。

 芝居としては未完成かも知れません。表題の『アジアの女』って唐突なセリフにもびっくりだったし・・、もっと練り直すと良いのかもしれないなぁ・・と思いつつ、でも、この時期にこの芝居、いわばタイミングもあるし、荒削りってそれはそれで魅力的かも知れません。出演者はわずか5人で、中央に舞台があり、観客は前後から見るということでしたが、崩壊寸前の住居のリアルさなども印象に残りました。

 長塚さんがこれから方向転換をするのか、あるいは、単に乗り継ぎのトランジットの作品だったのか??わかりませんが、でも、平凡な言葉でしか言えませんが、わたしには『心の襞にしみ入る作品』でした。
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2006年10月09日

書くことは喜び?

 昨日は快晴ながら、風の強い日でしたが、台風 遠路はるばる三軒茶屋まで出かけ(片道1時間ほどですが、渋谷をこえてって気分は遠い)、二兎社の『書く女』を見て来ました。三茶ではちょうどお祭りのようで、お神輿が出てました。
 
 『書く女』は樋口一葉の生涯を、彼女が半井桃水に弟子入りし、文学修業をはじめた時期から、わずか24歳で没するまでに書くことで成長する姿を『一葉日記』から解き明かして、描いています。


KAKUONNA.JPG

 半井桃水への恋心、それにもかかわらず、しっかり、細部まで観察し、桃水の言動の一部始終を日記にしたためてしまうのは、作家の性。だからこそ、こうして、今も芝居となって楽しめるわけです。
 一葉といえば、とにかく、生活に困窮する中で書き続けた側面が強調されてきたわけですが、この芝居では、そんな苦しい生活の中でも、妹との女同士の助け合い、文学者との交流、すこしづつ高まる評価、周囲の環境からも学びとる姿勢など、多様な面をしっかり見せていて、決して、暗く不幸な人生だけではないと・・・。

 女性がものを書くことがまだまだ世に認められにくい明治期にあって、『書くことの喜び』を知った一葉は、この芝居の最後には、見るものに短い生涯ながらも、幸せだったように思えたのでした。

 時代的に、日清戦争から次第に、国民も好戦的になり、マスコミもひと色に戦争を賛美する傾向を批判する一葉とその文学者仲間に、今日の世相批判がちょっと重なって見えたりもした。

 一葉を演ずる寺島しのぶさんは、まさに適役って感じでしたね。桃水を演じた筒井道隆さんは、口説いているようで、はぐらかすようなぬーぼーとした雰囲気がピッタリでした。
 でも、休憩をはさんで3時間15分はちょっと長かったなぁ・・・。もうちょっと、短かめにまとめてもらえたら、もっとよかったような気もしました。
 日本家屋の格子や木組をモチーフにした装置を巧に移動させる美術やクラシック音楽の効果的な使い方も魅力的でした。

 作・演出の永井愛さんは昨年『歌わせたい男たち』で多くの演劇賞を受賞されましたが、その『歌わせたい男たち』が08年3月再演決定とのニュースも。08年って、これはまたずいぶんと先のことのようですが、案外、あっという間にやってくるのだろうな?がく〜(落胆した顔)
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2006年09月26日

ギリシャ悲劇の現代性

 昨夜は渋谷・シアターコクーンへ『オレステス』を見に行きました。電車 前日が観察会だったので、朝起きると体が『もう疲れちゃってますよ〜ふらふら』と悲鳴をあげていて、『まいったなぁ・・・。こんなスケジュールを組んだのは大失敗だったかなぁ?』・・・とはいえ、後悔先にたたず・・・、以後気をつけようと思ったりもしたけれど(まあ、いつものことながらチケットを取るのは何ヶ月か前だったりするので、予定もピンと来ない訳ですが・・・モバQ)。

 それでも、一応仕事をしつつ、家族の夕食の支度などで、ウォーミング・アップできたようで、夕方には元気に出かけました。わーい(嬉しい顔)

 ギリシャ悲劇の教養に乏しいので、芝居の状況を理解し、入り込むまでにやや時間がかかってしまいましたが、父アガメムノンを不貞の末に殺した実の母クリュイムネストラを殺し、あだ討ちを果たしたオレステスだが、その殺人にうなされ、正気を失い、病の床にある。姉エレクトラの献身的な看病にもかかわらず、衰弱し切っていた。母殺しを重罪とするアルゴス市民らが姉弟の処刑方法を決定しようとする日、なんとか、処刑を逃れようと、オレステスは叔父メネラオスに助けを求めたが・・・・。

 圧倒的なセリフ量、さらに舞台に降り注ぐ雨の中での芝居、役者のそのエネルギーには圧倒されました。まさに、「生でみるからこその迫力」です。オレステスの藤原達也さんも エレクトラの中嶋朋子さんも、華奢なのに、すごいパワーで、もうびっくりです。ちなみに、藤原さんはギリシャ悲劇初挑戦とか・・・。

 物語は、エウリピエデスのギリシャ古典ともいえるものだけに、現代感覚でどうのこうのと言うのもいささか筋違いと言えるしょうが(大団円など?お約束)、それでも、父を殺された復讐に母を殺すと言う『復讐の連鎖』を諌める叔父メネラオスに、現代に通じるものを感じたわけです。

 蜷川演出は、毎回、「意表をつく」ことを心掛けているようで??がく〜(落胆した顔) 今回もある意味、「度胆を抜かすぜ!」って感じのラストでしたが、ちょっとあざといような気がしたのは私だけでしょうか??ふらふら 演出のテーマをわかりやすく・・・ってことでしょうが、もうちょっと、観客が自ら感じとるって位の方が良かったような・・・??まあ、なんであれ、好き好きってことになるのかも知れませんが・・・。

 舞台装置はシンプルな、グレーの緩くカーブする壁面、その壁にいくつかの扉が仕掛けられている。正面の大扉には白のでかい×が描かれ、これも何かを象徴しているようでした。7月の『あわれ、彼女は娼婦』の装置を、厳めしく殺伐としたような・・・と思ったら、美術は同じ中越司さんでした。

 それにしても、老いるとか、枯れるとかって境地にはまるでない蜷川氏は、来年も1月『コリオレイナス』 2月『ひばり』(ジャン・アヌー作)、3月『恋の骨折り損』と立続けの舞台を予定されているようです。いやはや、もうびっくりですね。観察会の翌日の観劇にうだうだ言っている奴など、あっさり蹴飛ばされちゃいますね。 がく〜(落胆した顔)
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2006年09月03日

つまりは庶民の好奇心も問題??

 多少芝居を見て来ると、これでも、『是非見たい』とか『なんか気になる』といった演出家や、役者が幾人も出て来るもので、その全部には対応できないものの、可能なら・・・とつい気になる演出家のひとりに『鈴木勝秀』さんがいます。

 今回 『DUMB SHOW』という芝居のチケットをゲットしたのは、演出が『鈴木勝秀』さんであり、さらに演じるのが、『浅野温子』さんと『浅野和之』さんという『W浅野』ってこともありました。

 この芝居、イギリスの劇作家、ジョー・ペンホールの原作で、いわば、タブロイド紙のスキャンダルが問題視されるイギリスのマスコミとセレブの『狐とたぬきの騙しあい』が下敷きらしい。

 TVの人気コメディアン・バリ−のスキャンダルを暴こうと、罠を仕掛けるタブロイド紙の記者、リズ(浅野温子)とクレッグ(鈴木浩介)。彼らのなりふりかまわぬ取材に、嘘か誠か、対抗するバリ−。その丁々発止の戦いは見ものだし、どちらに肩入れするというものでもないけれど、でも、そのスキャンダルを歓迎する、タブロイド紙の読者という一般大衆がなくては成立しないわけで・・・・。日本で言えば、TVのワイドショーなどで、さしずめ視聴者の『好奇心』に左右される愚かさが重なることかも知れません。ということは、私もこの構図に組み込まれているってことでしょう(だから、見ていて、いささか『痛い』とも思ったり・・・)

 『知る権利』やら『プライバシー』『人権』に『表現の自由』など、ある意味シリアスなテーマが絡みながら、コミカルな展開で、それらの題目が単なる口実であるわけで・・・。『表現の自由』を主張する記者に対し、『君は何を表現しているんだ?いったい何を表現しているんだ』と問いつめるバリ−に答えられないリズ。
 そして、さらに『もし、イエス・キリストが生きていたら・・お前は彼のゴミバケツをあさるんだろうな』という現代のスキャンダル取材の構造にも迫る、痛烈な芝居でした。
 
 というわけで、なかなかに面白かった。ナイスバディを、バリ−への罠として、仕掛ける浅野温子さん、それにちょこちょこ視線を走らせる親父バリ−な浅野和之さん、W浅野がかなり楽しいでした。

 で、世田谷は三軒茶屋のシアタートラムは、昨年、夏『新編・我が輩は猫である』を観劇した折、冷房の効き過ぎにいたたまれなかったので、今回は用心して、長袖着用でのぞんだら、ぜんぜん半袖OKの状態でした。地球温暖化に対応して、冷房温度を上げたのか??、まあそれはそれでけっこうなことでした。
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2006年08月25日

お笑いは奥が深すぎる?

 昨夜、パルコ劇場で絶賛公演中!の『噂の男』を見て来ました。久々の観劇ということで、ワクワク・・・。さらに、芸達者の良い男5人揃い踏みと、期待もたかまっていたのですが、さらに、出演者は二人増えてました(夫婦漫才の『骨なしポテト』を演じる猪岐英人さんと水野顕子さん)。
 
 で、昭和を引きずる古い劇場の地下のボイラー室脇の部屋で繰り広げられる衝撃のドラマ。福島三郎さんは、のほほんと、あったかな芝居を書く方だと、たった2本で判断していた私には、この芝居は、まさに『ケラ・ワールド』だろうなぁ・・・と、思いました(ケラさんの潤色度が相当高いだろうと・・・)。

 まだ、これからご覧の方もいらっしゃるので、ネタ晴れ厳禁ですが、実は、私は、あちこち探りを入れて、多少予備知識を得ていたので、それほど、驚くこともなくすみました(知らなかったら、『ギャ!!』と椅子からとびあがったかも??)
 
 『お笑い芸人の楽屋裏の話で、いや〜〜、ブラック!な雰囲気でしたね。
芸達者な役者さんばかりなので、ホント、漫才も上手い!テンポいい!し、笑いも多いのですが…、その笑いを追求する裏にあるドロドロが、半端じゃなかったです…。』と一応、友人にメールしましたが、芝居を見ている間は、けっこう笑って、笑っていたのに、だんだん、その笑いに苦味が加わって、終わってからは、ちょっと、『お笑い』の裏側を知ってしまった気分で、今後、素直に笑えないかもなぁ・・・とも、思っちゃいました。

 それにしても、関西人には、お笑いの要素がDNAに組み込まれているのか?と、思うほど、上手い『ダブル橋本』の漫才の話術にはホント、感心したし、ずっと聞いていたい位でした。

 実は、橋本さとしさんを、『天使は瞳を閉じて』(03年)で気に入った新参者です。橋本じゅんさんは、『阿修羅城』やら『髑髏城』で存じ上げていたけれど、今回、前から2列目という席から拝見した、つぶらな瞳のかわいらしさと、無気味さに今さらながらに、『おい!危ないぞ!』と身構えたりしました(苦笑)。

 2時間半の芝居で、休憩なし、演じる方には大変でしょうが、見る方は集中力を切らされなくて、ほんと、面白さを堪能できました。できれば、芝居は一気に演じてほしいと、常々思っているものですから・・。

 この芝居を、『面白い』かどうかで判断すると、、文句なしに『面白い』、でも、『好きか、嫌いか』と聞かれたら、『嫌いではないが、好きとも言えないかも?』というあいまいな答えになりそうなんです。なぜか??
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2006年07月12日

いそいそと出かけた先は?

 昨夜はシアター・コクーンで上演中の『あわれ 彼女は娼婦』を見てきました。6月に3回もコクーンに通ってなじみとなった『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない?』の特設舞台、乱雑ながら居心地良さそうなジョージとマーサ夫妻の居間は当然あとかたもなくなって、通常の舞台にもどっていた。ちょっと、残念。
 
 それはさておき、『あわれ 彼女は娼婦』はシェークスピアとほぼ同時代のイギリス人作家、ジョン・フォード(西部劇の巨匠と同じ名まえだ)の作品。舞台は中世のイタリア・パルマ。そこの裕福な市民、フローリオの長男、ジョバンニは聡明にして気高く申し分のない若者。そして、その妹アナベラは、これまた美しくやさしい心根で多くの崇拝者をもつ。しかし、この二人、実の兄と妹は、互いに愛し合ってしまった。カトリックの教義が支配する厳格な時代に禁断の恋、その波紋は、やがてまわりを巻き込み、陰謀と復讐、憎悪と裏切りの泥沼となっていく・・・。
 
 引き込まれて見たけれど、最後の最後、愛するものの心臓を抉り取って、それを口にするやら大量虐殺やら・・・あまりのドロドロにビックリ!つい、草食動物的あっさり人間は何もそこまでしなくても・・・と、気持ち的にしり込みして終わってしまった。残念。まあ、ジョバンニ役の三上博史さん、大熱演、アナベラ役の深津絵里さんは美しくお芝居も上手だし、アナベラと結婚し、ジョバンニへの嫉妬に狂うソランゾ役の谷原章介さんは、長身でかっこいいし・・・。

 時に広場、時に室内や、教会へと変化する舞台装置、たくさんの窓、風に翻る白いカーテン、まるで柵のように上下に張られた無数の赤い糸、そして、婚礼の日の数多くのキャンドルなど美術がとても印象的で、照明も美しく魅力的ではありましたが、結局、登場人物の誰にもイマイチ共感できなかった。

 禁断の恋ってテーマにはけっこう、ゾクゾクするような期待があったのに、なぜかなぁ???考えるに、ジョバンニとアナベラが互いの思いを確認すると、即、肉体の交わりを持ち、果ては妊娠って・・・、おいおい・・・。もっと、逡巡やら苦悩やら、気持ちの行き違いやらあった方が共感したかなぁ???

 でも、周囲のどんな反対にもかかわらず、「自らの思いを貫いて退廃的でありつつもストイック」と翻訳家の松岡数子さんはプログラムで解説されています。でも、ちょっとストイックとは違う気がしたけれど・・・。それでも、なんだかんだ言いつつも、生の舞台は楽しいなぁ・・・、つまりは、いずれ、公演が終わると跡形もなく消えるものだけに、その瞬間に立ち会えた喜びが病み付きの由縁でしょうか? 黒ハート
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2006年06月14日

悪夢のような一夜の果てに

 初演が1962年、映画化されたのが1966年、アメリカ現代演劇の衝撃作と言われた『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』が、新たな訳、ケラリ−ノ・サンドロヴィッチの演出でシアター・コクーンに登場です。

 この作品、一応、事前に勉強なんて気を起こし、本を入手(しかし、届いたのは英文=がく〜(落胆した顔))。斜読みもなにも、当時のスノッブな大学人をあざ笑うようなスラングで、ほぼお手上げ状態。さらに、映画のDVDを見たら、内容は分ったものの、「暗くて救いのない夫婦のバトル」で、正直、とても楽しめる芝居ではなさそう・・・に思えました。

 しか〜し、初日以降の芝居の感想は「笑えた」「面白い」とあって・・・・おやおや??どこをどう演出すると『面白くなるのか?』とひそかに期待度を高めつつ出かけました。

 とはいえ、これまでに見た唯一のケラ作品は、芝居を見始めたごく初めの頃に 流山児 プロデュース、鐘下辰男 作、ケラ 演出の『HAPPY DAY』というタイトルとは真逆の「暗くて救いのない長い芝居」だったわけで・・・。どうも、今回の原作に雰囲気はぴったり合っているとは言え、どうやったらこの作品で『笑えるんだろう』と始まるまでは・・・ずっと思ってました。

 しかし、コクーンの座席を移動させて、まん中に舞台を作り、周囲に観客を配して、いわば、異種格闘技のリングの状態??わーい(嬉しい顔) に興味をそそられて・・・始まってみたら、怒濤の3時間でした。

 ご存知の方も多いでしょうが、ニューイングランドの小さな大学街に暮らす歴史学教授夫妻、ジョージとマーサのうちへ深夜に新任の生物学助教授夫妻、ニックとハネーが訪ねて来て(ふつう深夜2時に来ないだろう!!)、そこから始まる悪夢のような一夜・・・。
 結婚23年のジョージとマーサは、まさに互いをば倒し、あることないこと喧嘩に明け暮れて、その中に夫婦の倒錯的な絆を保っているというなんとも大変な夫婦なのです。マーサの父が大学総長だから、さらに冴えない、うだつの上がらない年下の夫に対して、一見横暴の限り。でも、この夫もけっこう、したたかに妻に対してもいるわけで・・、実際にあやつっているのはどっち?状態。
 最初は当たり障りない会話を試みるニック夫妻も、次第にこの狂気のゲームに巻き込まれ、心の底にあるものをあばきだされ、それをジョージは喜んでさらにいたぶるという、ハイ、なんとも奇妙で恐ろしくも悲しいSM的人間ドラマです。

 会話のみのこの芝居を、マーサとジョージはまるで掛け合い漫才のように演じ、さらにジョージのニックへの嫌味なツッコミなどもあって、ホントに笑わせてもらいました。 わーい(嬉しい顔)
 同時に、時間の経過を音や照明、そして、ゆっくりとまわる舞台で巧みに見せて、とても興味深く、そして、ジョージとマーサの「かすがい」でもあった架空の子どもを、この一夜のらんちき騒動の最後に葬り去った夫婦がどう新たな絆を結んでいくのか、あるいは、思いがけず、心の底の醜さを互いに暴かれた若夫婦がこれからどう共に歩んでいくのか??この芝居では夜明けの光の中にかすかな希望を感じさせて幕を閉じた。三日月

 キャスティングはマーサが大竹しのぶさん、ジョージが段田安則さん、ニックが稲垣吾郎さん、ニックの妻ハネーがともさかりえさん。たった4人の出演者というわけで、このバランスが大切ですが、それぞれに納得のキャスティングでした。まあ、わからないなりに、本を読んだ時から、ねちねちとニックに絡むジョージを演ずる段田さんは目に見えるようでした。まさにハマリ役って言ったら、喜んでもらえるかどうか??
 大竹さんのマーサは、エリザベス・テーラーよりも可愛げがあるような、小悪魔的な感じで、でも迫力満点した。ちょっと、頭の弱そうな、クレージーな少女的なハネーのともさかさんも上手いし、その3人にまさに翻弄されて、一番ヨレヨレになる感じのニック役の稲垣さんも、スマートで色気充分なのに、意外なヨレヨレ感が面白いでした。それにしても、脚本にあるから当然ながら、皆さん「飲み過ぎです」(がく〜(落胆した顔)

 このふた組の夫婦の一夜に観客も(ある意味のぞき見的に)つきあっているわけで、「共犯者」的感覚を覚え、見終わって「なんか癖になりそう」な芝居だな・・・と思ったのでした。

 いやはや、長い芝居には長い感想となってしまって、まあ、最後までおつきあいくださった方には、御礼申し上げます。黒ハート
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