2016年06月06日

追悼公演「尺には尺を」

6月5日(日)午後1時30分開演 そのB席が取れる訳もないだろうけれど...ダメもとって感じで、ぴあの先行予約に応募したら,なぜか取れた。という訳で久々の観劇となったのですが,なんとこの日は、国会前で参院選を見据えての大集会があるとか?いつもなら,真っ先に駆けつけたいところですが、ごめんなさい・・・、今回は5月12日に亡くなった蜷川幸雄さんの追悼公演になったこともあって,すでにチケットをゲット済みの観劇を選択しました。

 さいたま芸術劇場は2003年の「ペリクリーズ」以来という、実に長いご無沙汰でした。路線やら時間を確認して、なんとか無事到着。なんか,とても・・遠い劇場という印象でしたが、乗り換え時間を除けば,乗車は1時間弱くらいでした。
 ともかく、この芝居については,まったくの予備知識なし。シェークスピア劇の中でも知名度は高くないと思うけれど、見終わって感じたのは、400年前とは思えないほど、現代にも通じる芝居で、さすが、シェークスピア、まったく古びていないと驚く。400年以上前の物語だから、結婚前に婚約者を妊娠させたとして死刑宣告は・・・いくらなんでも現代には通用しない・・・とはいえ、その死刑を宣告されたクローティオの妹が頭脳明晰、清楚で論理も弁も経つ女性って、シャークスピアは当時にしては珍しいフェミニストだったかも?『ベニスの商人』にしても、女性がカッコいいですから・・・そこも、現代感覚に合致しています。 
 蜷川さんの最後の演出作品ということですが、冒頭、まだ芝居が始まる前から、舞台では三々五々に役者が集ってきて、それぞれにストレッチや発声練習など楽屋裏をみせていく演出が面白いでした。観客が入って来る様子と,舞台の準備が進む様子がシンクロして面白く,ワクワクしました。 
 舞台はウィーンということでしたが、なぜウィーンだったのか?ま,それはさておき、街を統治する公爵が後輩貴族に全権委任して,旅に出ると見せかけて,修道士に変装して権力がひとをどう変えるかを観察する・・・ということで、結局,この芝居の主人公はこの公爵ヴィンセンショー、演ずるは辻萬長、硬軟縦横に演じてさすがです。全権委任されて,いわばその手腕を試される貴族アンジェロは藤木直人、死刑宣告されたクローディオの妹で、兄の命乞いに奔走するイザベラに多部未華子。
 権力と正義,罪と罰・・・きわめて難しい問題は,シェークスピアの時代から現代まで試行錯誤の繰り返しなんですね。為政者はどうあるべきか?まさに今の問題提起となっています。
 というわけで、「シェークスピア,面白い」と満足の芝居。カーテンコールに,蜷川さんの遺影が登場、これから、蜷川さんのいない時代を生きることになるのだなぁ・・・と、蜷川ロスを実感した瞬間でした。
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2016年05月13日

訃報に驚いて

 すっかりご無沙汰しているうちに、もう5月の連休も終わってしまいました。そして、昨日5月12日蜷川幸雄さんの訃報がYahoo Newsにあって・・・・、「あ〜〜、とうとう、この日が来たか?」と。
 最近、相当、体調を崩しておられたようではあったけれど、でも、どこかで、また奇跡的に復活されるんじゃないか?と思っていました。
 思い返すと、はじめて蜷川演出作品を見たのは99年12月の「パンドラの鐘」だったようです。野田秀樹作、シアターコクーンで蜷川演出、世田谷パブリックシアターで野田演出が同時上演ということでも話題の作品でした。非常に刺激的なテーマを分かりやすく提示した蜷川演出が気になって、翌2000年1月には『唐版 瀧の白糸』、01年1月に「真情あふるる軽薄さ2001」、4月に「マクベス」、8月には「卒塔婆小町/弱法師」を見ました。
 2002年3月に「身毒丸」、5月に「欲望という名の電車」。
 2003年には彩の国埼玉芸術劇場でシェークスピアの「ペリグリーズ」。
 2005年2月に「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」、5月に「メディア」、10月に「天保10年のシェークスピア」と3本も見ていたんだ。10年以上前の作品ながら、舞台装置を含めて思いだせます。
 2006年7月に「あわれ、彼女は娼婦」、9月に「オレステス」、11月は「タンゴ 冬の終わりに」。
 2007年2月は「ひばり」、5月「藪原検校」。
 2008年7月「道元の冒険」。
 2009年12月「12人の怒れる男たち」楽日だったので、カーテンコールに恥ずかしそうに蜷川さん登場。

 その後、諸般の事情(主としてチケット代がなくて)徐々に観劇機会が減ってしまい、2013年の「盲導犬」が蜷川作品の最後となりました。

 じつは、多分ダメもと・・・と6月5日に彩の国埼玉芸術劇場で公演のシェークスピア「尺には尺を」のチケット、先行予約に挑戦したら、なぜか取れて・・・まあ、2階最後列かと思うような席ながら、観劇予定です。
 芝居って面白いなぁ・・・と思ったきっかけはつかさんで、すでにそのつかさんは亡く、その後、蜷川作品、その舞台にワクワクしてきたことを思うと、本当に残念。蜷川さんのファンと言うには恐れ多いけれど、同時代にいてもらえたのは嬉しいことで、これから、蜷川さん亡き時代を生きるのかと思うと・・・ちょっと意気消沈・・・って感じも。
 せめて、野田さんには頑張ってもらいたいですし、若手のエネルギッシュな演出家がぐんぐん出てきてくれるといいなぁ。
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2016年03月09日

観劇はぜいたくで楽しい・・

 演劇にも当然、いろいろなジャンルがあって、シリアスな問題提起の小劇場作品から、「That's entertaiment」の大劇場大作まで、いろいろ。どっちが上とか下とかより、実は、個々の作品の品質?が大事かもしれません。上質のエンターテイメントにとって、大事なメッセージはただ純粋に楽しめて、それで満足、満足って芝居を提供することでしょう。

 というわけで、3月3日のひな祭りに渋谷パルコ劇場でそんな定番エンターテイメントの芝居を見てきました。パルコ・プロデュース、劇団らっぱ屋の鈴木聡さんとジャズミュージシャンの佐山雅弘さん、それにSMAPの稲垣吾郎がタッグを組む新しいミュージカルの第3弾。
 なんとも贅沢な芝居。ミュージカルと言えば、大体が海外作品のリメイクが当たり前の中、全くのオリジナルのミュージカルって、すごくない?
 舞台では幕の開く前から、すでに生バンドの演奏が始まって・・・それも、気分を高揚させます。

 『恋と音楽』は1作目がミュージカル作家、第2作はマネージャーが主人公だったけれど、『FINAL』となる今回は、ミュージカルスターの物語。3作とも、主演は稲垣吾郎と真飛聖の二人に、脇に達者な役者陣を配して、もう笑うやら、人生のほろ苦さを感じさせるやら・・のエンターテイメント・ミュージカル。国産?ミュージカルということ自体、そもそも珍しくて実験的といえそう?作、演出も楽曲も日本人で・・・こんなにお洒落なミュージカルができることにブラボー。
 今回は特に主演のふたりが、まさにスターオーラ・キラキラと輝いているので、ただただ見ほれてしまいました。
 
 あたりまえの日常にちょっと刺激と喜びを与えてくれる・・・、演じる役者陣もバンドメンバーも楽しくて仕方がないみたいで、観客もそのパワーに幸せ気分にひたれる・・・素敵なエンターテイメントに、大満足の一夜でした。

 芝居って、演じるものとそれを観るものが、対峙する・・・・近年ではなんとも贅沢なあり方だと思う。ある場所で、ある時間に限定の公演に、いわば駆けつける・・・それは、きわめてアナログではあるけれど、結局古来からの長く長く続くコミュニケーション手段として、実はとても新鮮な気がします。今の時代は、何事もわざわざ出かけるまでもなく、すべてネットで済ませられる・・・そんな世の中にあって、直接出かけていく、直に相対することで成立するもの・・・って、かなり数少ない貴重なことだからこそ大事にしたい?と思う訳です。


 井上ひさしさんが「良い芝居を観た後、『自分の人生はそんなに捨てたもんじゃない』と思い、さらに自分の人生が、なんだかキラキラしたものに感じられる。そんな芝居を造り続けてほしい」と娘でこまつ座社長の井上麻矢さんに残した言葉・・・、そのエスプリがこの『恋と音楽』シリーズにもあるように思いました。
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2016年02月26日

久々の観劇

 昨日は本当に久々の観劇・・それも野田秀樹さんの新作『逆鱗』を見ました。
野田さんの芝居は、いろいろな事柄が組み合わせって、なんだか?複雑怪奇って感じも正直あったりする。
 さて、今回の『逆鱗』は、まっさらの状態で見始めたら、最初、さっぱり訳がわからない。人魚?水族館で展示?それに電報配達員やら、鵜飼いの網元やら・・・交錯する人物がまるで繋がらないように思えて...不思議なことばかり。
 しかし、野田さんの得意の言葉遊びは盛んに飛び交って、さらに、アンサンブルの動きが興味深く、彼らが操るものやら美術が、陸、海の中、水底を巧みに表現して、まったく目を離せませんでした、
 そして、徐々に解き明かされるのは・・・そうか、それだったのか?と、最初のピースが次々に当てはまって行く、ジグソーパズルのあの快感。いえ、とうてい快感ではなく、恐怖であり、むしろ見たくないと遮断してきた悔いだったり・・・、しかし、直視しなくていはいけないものだったと。今の私たちにとっての複雑な思いへと一気に投げ込まれました。
 人魚伝説がこんなところまで、観客を運んできたのか?と驚き、その使者が松たか子、瑛太、井上真央、阿部サダヲ、池田成志、銀粉蝶、満島真之、野田秀樹・・・なかなかのキャスティングとあらためて見終わって感じた。もう一度、見たら、もっと理解できるかも?と思うのですが、それは無理。やはり1回の観劇で掴めたものが、どんなに未熟でもすべて・・・となりました。
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2014年09月08日

夏の終わり?

2014年の夏はホントにひたすら多忙のうちに終わりました....って感じです。江戸川流域シンポジウムを20年開催して来たので,区切りとして記念誌を出すということは,もう昨年から決まっていたんですが,いざ着手したのが,今年6月、それから2ヶ月、もう必死に走りに走ったって気分。なにしろ,20年ですがら、講演やパネルディスカッションも膨大な量。添付する写真も細かくチェックしなくちゃいけないし,頭の中はぐちゃぐちゃ・・・って状態。160頁以上になるということは,全部目を通すだけでも大変な作業で,入稿直前は,絶対にしないはずの残業となり,深夜まで文字を追う事態にへとへとでした。というわけで、なんとか,無事上がって来て・・・・ヤレヤレ。もうあとはどうであっても,知りませんと言いたい。

 さて、そんな忙しさも一段落?とまでは行かないけれど、一応、7日の日曜日にはシアター・コクーンへと出かけました。「火のようにさびしい姉がいて」清水邦夫さんの脚本、演出は蜷川幸雄さんです。出演は大竹しのぶさん、宮沢りえさん、段田安則さんら、豪華出演陣。実は、チケットを先行抽選だかで取ったことを忘れていて、見たいけれど?どうしようかなぁ?なんてちょっと悩んでいたって・・・,相当ボケてます。先日『兄おとうと』観劇でチケットをチェックしたらもう一枚あって、それがこの芝居だった。

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 1978年、清水邦夫さん率いる「木冬社」で初演され,その後、1度再演されたと言う。なぜ今、3度目の再演なのか?時代が大きく曲がりかけているところで、考えてみようということなのでしょうか?

 シェークスピアの「オセロー」を演じる俳優(段田安則)、その妻は元女優(宮沢りえ)で稽古で相手役をつとめ、何度も,オセローに殺されるシーンも演じている。そんな二人は、どうやら,共に精神に変調を来しているようで、転地療養を勧められ、そこで,俳優のふるさと、雪国へ20年ぶりに妻と帰って行く。しかし、バス停を聞こうと立ち寄った理髪店で・・・・思いがけない出来事に巻き込まれてゆく二人。
 ふるさとは遠くにありて、思うもの・・・・ということなのか?なにしろ,20年ぶりとあって、ほとんど肉親でさえ気分は他人のようでもあるが、過去を知るものもいるから、どんどん歯車は狂い出して・・・。何が真実なのか?何が嘘なのか?記憶のあやふやさも相まって・・・、なんとも不安が広がる一方。
 楽屋の鏡、理髪店の鏡・・・鏡に映る自分は虚像か?ということを象徴するような演出が面白いでした。

 この芝居の意味するところは、まだ充分咀嚼仕切れていない,かなり難しい芝居。でも、段田さんと宮沢さんは、この怪しい事態に巻き込まれ、「オセロー」の筋書きもなぞるような展開に七転八倒する夫婦を大熱演でした。その一方、俳優の姉で理髪店の主人、大竹しのぶさんの不気味さも際立っていました。よくわからないお芝居、その謎にハマりそうです。
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2014年08月25日

ご無沙汰にもほどがある?

 何かと忙しかった・・・と言うのは,よくあるいい訳です。ともかく、ホントにブログお久しぶりです。
暑い夏・・・それだけで、もうぐったり・・・というのも、クーラーなしのうちですし、トロトロ動く扇風機しかない・・・ともかく真夏日、猛暑日、ダイレクトに襲って来るという日々にヘトヘト、さらにうちの猫が具合悪くて、もうヨレヨレ状態。そのネコになんとか,食事をさせたい・・・と,ホントにあれこれ、与えてみても、だいたいが「ふん!」って感じで拒否されて、これがダメなら、こっちはどうだ?みたいな、ネコとの対決?も忙しくて。さらに、つれあいのやっている会の20年のシンポジウムをまとめた冊子の刊行に四苦八苦など、もう暑い夏に七転八倒でした。
 盛大なブログをサボっていたいい訳、本当はまだまだあるんですが・・・まあ、それはさておき、
昨日は久々に新宿、紀伊国屋サザンシアターにこまつ座公演「兄おとうと」を見に行きました。

aniotouto.jpg

 政治学者の吉野作造と、10歳年のはなれた弟で高級官僚の信次、二人の兄弟は会うと喧嘩?しかし、その配偶者は頭も良くて機転もきいて、チャーミングな実の姉妹。めったに会わないものの、会えば喧嘩ばかりの兄弟に、妻も巻き込まれ、さらに、財布泥棒やら説教強盗やら・・・時代を経てもいろいろトラブルに巻き込まれて行く・・・そんな中で、作造の「政治は国民を基にする」という大正デモクラシーの思想を訴えかける作品。
 音楽劇とあって、朴勝哲の演奏するピアノにのって、歌われる数々の楽しい曲。あの吉野作造が歌い踊る・・・って,ちょっと信じがたいようでもありますが、演じる辻萬長さんのひょうきんな雰囲気に、堅物役人的な信次を演じる大鷹明良さんのコンビが面白い。まさか?でも、歌って踊る・・・「兄おとうと」。
 物語としては、吉野作造が国民の立場からの政治を目指そうというメッセージが,いつの時代よりもいま、迫って来る感じ。「虐げられた庶民のなぜ?が国の流れをかえる」とか、「国も一つのおにぎりと似ている」というちょっとビックリの国家論。国のおにぎりの中心にあるのは,梅干しではなく「そこに住みたいという人々の意志」そして「そこで安心して暮らせるところであってほしいという願い」、その思いを込めた憲法・・・となるようです。そして,「憲法は国民の考えを反映して、法律に優先するもの」とする。これは、今こそ考えてもらいたい,見てもらいたいテーマですが、堅苦しくない、なにより面白い。
 「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」という井上ひさしさんの信条がまさに盛り込まれた作品。いま、特定秘密保護法やら集団的自衛権など、憲法がないがしろにされつつある時代に、あらためて見て多くの方に考えてほしい芝居です。

 作造の辻萬長さん、弟信次の大鷹明良さん、作造の妻の剣幸さん、信次の妻の高橋紀恵さんの4人は固定した役ですが、そのまわりで財布泥棒や警官、夫婦者の説教強盗など様々な役を演じ分ける小嶋尚樹さんと宮本裕子さんが芸達者で・・・すごく楽しめました。
 深いテーマを面白く考えさせる・・・見応えのある作品でした。
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2014年03月02日

時代を透視する芝居

 久々の渋谷での観劇です。あいにくの雨、まあ、雪でないことを喜ぶべきか?

 ともかく、この芝居に関して、ちょっと前に一通り感想を書き終えたのに、うっかり全部消えたというオソマツ。まったく、その瞬間ほどがっかりすることはない。さほど大したことは書いていないが、一から書き直すのはかなり悲しい出来事。自分がうっかりしたせいなので、誰にも文句はいえませんが。

 ともかく、久々にパルコ劇場での観劇は、三谷幸喜作品『国民の映画』。2011年に、あの東日本大震災を挟んで上演されたという記念すべき作品でしたが、その時はチケットも取ってなかったし、取れなかったし?ということで、今回の再演が待ちかねたものでした。

 これは、1941年、ナチスの宣伝相ゲッペルスの館での一夜のパーティが舞台。映画をこよなく愛するゲッペルスが、新たな作品を製作しようと、映画関係者を集めた。そこに警視総監ヒンメルやゲーリングもやって来て、さてどうなるかと言う群像劇。映画人が、映画製作のためには、なりふり構わず時の権力にこびる様もある意味、悲喜劇。
 これって過去のお話とのんきに登場人物の思惑を楽しめるかと思ったら、なんと、「政治家に少しの知恵と、国民に少しの勇気があれば、この事態はなかった」って・・・それ、今のことでしょうか?と、どきり。
 映画をこよなく愛するゲッペルス・・・とはいえ、2幕になると、彼も、ヒンメルもゲーリングも、「あの方=ヒットラー」の意向を疑うこともなく、ユダヤ人殲滅作戦を相談する。ゲッペルスの忠実な執事、何よりも映画を愛し、目配り完璧な出過ぎないフレッツがユダヤ人であったと発覚し、するとゲッペルスも救いの手は差し伸べない。みな、我が身が大事?
 役者が皆、芸達者で、本当に上手い。だからこそ、この芝居が面白くも恐い・・・となった。
 想像以上にシニカルな展開で、しかし、「どんな政権も永遠ではない」との予言通り、あっという間に登場人物の多くはドイツ敗戦で命を失う運命。それにしても、これは単に時代に奔走される人々の悲喜劇・・・と言う以上に、いまを批判する作品となっていたことに驚きました。都内各地の図書館で「アンネの日記」に関連する書籍が引きちぎられる事態・・・それは、このナチス時代の反ユダヤ主義の亡霊がいまここに・・・ということなのか?芝居が時代を反映する、時代が芝居を後押しする?なんだか分からない不気味さを感じたわけです。

 
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2013年11月03日

問題を明らかにする

 あれ?気づきと早11月です。残り2ヶ月しかなく、夕方5時には日暮れている・・・・って、なんとも気ぜわしい時期となってしまいました。こういう時期になると、キリギリス的なのんき人間はアタフタしちゃいますね。ホントに、この冬の時代をどうしたものだろうと戸惑う感じになります。

 そんな日々に、本日は東京芸術劇場へ野田地図(NODA・MAP)の第18回公演『MIWA』を観劇に行きました。人気の芝居で、先行予約とはいえ、日曜のマチネーが取れたのはラッキーということでしょうね。

miwa.jpg

 これは、『MIWA』といえば、あの美輪明宏さんがモデルの芝居です。はたして、どんな芝居になるのか?事前の情報もまるで知らないままに観劇した方が、より刺激的で面白いのでは・・・と思って、いわば白紙でこの舞台と出会いました。

 キャストは MIWA=宮沢りえ 赤絲繋一郎=瑛太、マリア=井上真央、オスカワアイドル=野田秀樹、安藤牛乳=古田新太など。

 『MIWA』は美輪明宏さんをモデルにした芝居です。その履歴はすでにご本人が本にもし、TVでも語っておられる・・・それをどう料理するのか?と思ってしまいますが、野田さんは美輪さんの両性具有的特徴に天草四郎やら隠れキリシタンなどありつつ、何よりも印象に残ったのは、共に長崎出身という事で、あの長崎への原爆の投下・・・。
 その事への怒りと、単純には言い切れないかもしれない複雑な思いが、舞台に見事に表現されていた。アナログの舞台での、原爆投下はより一層、よりリアルに迫ってくるものがあったので、思わず涙がこぼれました。
 
 戦中、戦後と時代は変化しつつも、美輪さんが抱える問題は容易くはなく・・・、三島由紀夫の市ヶ谷自衛隊での事件も含めて、深く時代を共になぞった感じもしました。当然、美輪さんの『ヨイトマケ』やら『愛の讃歌』などの歌も流れて・・・・でも、それは出演者は口パクってことは残念となるような気もしました。
 今、この時代に何を訴えたいのか?という事では、野田さんの意図をまだ読み解けていないかも?なにしろ、2011年の3月11日以降、すべての事はたやすくはない、なんとも複雑になっている事態ですから、それをかかえている私たち、でも、なんとか解きほぐしていけるように・・・想像力駆使していかないと・・・と思った芝居でした。
 
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2013年10月07日

エネルギッシュなパフォーマンス!

 昨日6日は青山円形劇場で劇団鹿殺しの「無休電車」を観劇。
 インパクトの強い劇団名は一度目にしたら、忘れるものではない。と言う訳で、ときどき目にするたびに「気になる劇団」ではありました。いったい、どんな芝居をするのかさっぱり分からないまま、たまたま青山円形劇場での公演、それも座長が文化庁派遣のカナダ留学のため、充電前公演と銘打たれていたので、チケットを取ってみました。

 青山円形劇場はこじんまりとして、役者がまさに目の前で演じる様を360度囲んで見るという特異性もあって、好きな劇場ですが、青山子どもの城、青山劇場ともども、いずれ閉館との噂?反対運動も行われているので、まだ確定ではないのか?そもそも閉館の理由が良くわからず、なぜ続けられないのか、国の考えはなんとも不思議であります。

 表参道や渋谷に行くには、ふつう京成・押上駅で半蔵門線に乗り換えるコースですが、ネットで調べたら運賃が一番安いのは、なんと西船橋から東西線、日本橋乗り換えの銀座線と言うことで、初の挑戦。いつものルートが単なる移動であるのに対して、初めてのコースはちょっとした旅気分。西船駅の乗り換えはちょっと戸惑いつつ、しかし、西船から東西線快速であっという間に日本橋到着。銀座線に乗り換えて、表参道はまあ、その昔なじみの場所(80年代はじめ南青山の職場に数年かよっていた・・・)。

 それはさておき、肝心の舞台です。予備知識がまるで無いまま、開演を待つのはワクワクしてホントに楽しい!!

 いざ、始ると予想外?の連続。これはなんと言うジャンルになるのか?と、そういう分析は野暮なんでしょうね。一応、ストーリーは売れない劇団の結成から・・・今に至る歴史をたどって、要所要所にその劇団公演というか、路上パフォーマンスというか、はたまた歌謡ショウというか、歌舞伎テイストの出で立ちでロックな唄と踊りが挟まって、エネルギッシュなエンターテイメントと言うことになりそうです。
 青山円形劇場というと、鈴木勝秀さん演出の『LYNX』や『HYMNS』、あるいはグレアム・グリーン原作の『叔母との旅』など、洗練されたスタイリッシュな作品が演じられる舞台・・・と思っていたら、なんとも、泥臭くパワフル、汗だくの・・・歌謡ショウに、正直ビックリしつつも、これはこれで楽しめました。

 座長の菜月チョビさん、小柄な若い女性が、大きな男たちを従えている様はなかなかいい感じ、やりきったって風のカーテンコールに思わず拍手でした。

 青山円形劇場といえば、なにしろ円形とあって、観客席がぐるっと見渡せるので、開演前、少しずつ席が埋まっていくその光景もすでにひとつのパフォーマンスのようで楽しい。何の芝居だったか、中村勘三郎さんが真向かいにどんと座っておられて・・・、こんな劇場まで足を運ばれるのかとちょっとビックリした記憶があります。もし健在でいらしたら、この舞台もひょっとしてご覧になったかなぁ?と思い(ご子息の勘九郎さんがこの劇団に関心がおありのようだったし)、観客席に勘三郎さんをちょっとはめ込んでみたりしました。

 それはさておき、帰りは慣れた半蔵門線で押上乗り換えにして、すんなり帰宅となりました。
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2013年08月15日

初文楽・・・面白い!!

 世はお盆休み真っ最中、その上に、猛暑の真っ盛り。こんな時に、いかにも暑そうな渋谷に出かけることになるとは。
 実はチケットを取った時にはどこか他人事って感じで、まさか...これほどの猛暑とは思いもせず・・・でしたが、なんと、ようやくの初文楽観劇です。

 昨年、パルコで初上演の『其礼成心中』、随分と評判が良く、見たかったなぁ・・・と思っていたら、なんと、再演となり、あわててチケットを取りました。
 文楽って・・・ちょっとその印象は地味?辛気くさそう?とか・・・一般には分かりにくい?って感じがしているけれど、さて、三谷さんはそんな文楽をどう料理したのか?すでに面白いとの評価を得ていたから、ある程度、戸惑いは少なく、期待は高めの観劇です。

 パルコ劇場、8月15日、午後2時開演、けっこう年配の観客もいて、男性客もいるようで、日頃の舞台公演より客層は広範囲??冒頭、三谷人形が登場・・・、操るのはご本人?「好評で再演となり、さらにグレードアップ、何がグレードアップってこの三谷人形の衣装が豪華」とアピール。登場するすべての人形の中で、唯一袴をはいている・・・と。

 さて、いよいよ幕が開きます。近松の舞台『曾根崎心中』のはやりで、やたら心中が増えた曾根崎天神、そこの一角のまんじゅう屋の主人が心中したいという二人をともかく説き伏せて、まあ、そこから、身の上相談屋という生業が成功した・・。でも、近松の『心中天の網島』で今度は心中場所が変わって廃れる・・・なんてことにもなったり??
 まんじゅう屋の女将の知恵やら、やがてはその娘の恋もあって・・・、なんとか「情けはひとのためならず』とうまく納める・・・・何よりも、語りの竹本千歳大夫 豊竹呂勢大夫らのみごとな演じ分けが・・・あって、さらに人形遣いの細かな所作、もうその微妙な演じ分けが、とてもじゃないけれど、素晴らしいものでした。人間が演じたら・・・どうなんだろう?これ以上に演じられるか?というと、多分、ちょっと無理かも・・・と言うシーンもあったような気がしたほどです。
 正直、日本にはこんなすごい文化遺産があったのか?と、あらためて思った。正直ビックリの発見だったと言えそうです。

 というわけで、初文楽、堪能しました。ふつうの文楽公演ではありえないのではないか?と思うカーテンコール、思いっきり拍手しました。もう手が痛いほど叩いたって感じで・・・特にまんじゅう屋の夫婦の人形とその使い手にはすごい拍手だった。もし、また再再演となったら、是非是非見たいと思うと同時に、文楽をもっとふつうに楽しみたくなりました。

 
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2013年07月13日

アングラ劇再び

 11日にシアター・コクーンで唐十郎作「盲導犬」を見て来ました。初演は1973年、おそらく盲導犬もあまり知られていなかった時代、主人公の盲人は幻の盲導犬、主人に従わないファキールを探している。その盲人・影破里夫にからむフーテン少年、さらに過去をコインロッカーに閉じ込めた妖艶なヒロイン・奥尻銀杏。

 唐さんの芝居はストレートにメッセージを投げかけるわけでもなく,分かるものにはわかる・・・という感じだけに、どう読み取るかその力量が観客にも問われているようで、正直、むずかしい。だから、猥雑な言葉さえ、美しく透明感を感じさせるその瞬間瞬間を味わう感じ。

 この舞台の設定が,おそらく初演の頃に理解しただろうものと,現在と・・・随分違っているのでしょうね、当時は、コインロッカーもシンナーもストレートに伝わったかもしれませんが、いまでは、ちょっとひねった解釈を考えて,余計に訳が分からなくなるということかも?
 ともかく、本物の犬が舞台に登場したり、あいかわらず、度肝を抜いてくれる蜷川演出ですが、ハイテンションの中に,言葉の美しさや人間の悲しみをみなぎらせた興味深い作品。

 盲人役の古田新太さんはさすがの安定感、奥尻銀杏役の宮沢りえさんの美しさと圧倒的パワー、フーテン少年の小出恵介君のつたなさと若さと愛らしさ、脇の木場さんなどの演じ手がハマっていた。ちょっと驚いたのは、大女のミニスカポリス役の大林素子さん、すっかり女優になっていた。

 刺激的な芝居は、やっぱり分からないながらも、面白いです。
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2013年06月17日

刺激的なお芝居

 アメリカ演劇界の最高賞、トニー賞の最優秀作品賞にノミネートされ、最優秀女優賞を受賞した作品、『ヴィーナス・イン・ファー』の日本版公演が始まり、シアター・コクーンで見てきました。

 マゾヒズムの元祖?レオポルト・フォン・ザッヘル=マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』を脚色し、演出しようと言うトーマス・ノヴァチェックが、主演女優のオーディションを終えたものの、期待に応える女優はひとりもなく,落ち込んでいるところに駆け込んで来た無名の女優は、なんと主人公と同じ名前のヴァンダ。ここから,強引な彼女の懇願に、本読みをすることになり、相手役を務めるトーマス。最初は演出家と女優という立場だったふたり、しかし、この劇中劇を演じて行くにつれて、主従関係は逆転し、物語の中の関係性へと移ろって行く。

 現実と劇中劇が目まぐるしく錯綜する,スピーディな展開が刺激的で実に面白い。理詰めであり、エキサイティング。たった二人の芝居で、立場が入れ替わり、最後には性別も入れ替わって、膨大な台詞を演じ分けるのは至難の技かと思うけれど,濃厚でスリリングな芝居を堪能した。
 なんか、これに比べると,日本の芝居はやはり淡白な感じもすることに気づかされたようでもあり,この複雑に組み立てられた、味の濃い芝居、かなり癖になりそうです。

 マゾッホの原作をもとにしているだけに、マゾヒズム、支配と非支配、男と女、いろんな対立の構図が詰め込まれているけれど、日本にも谷崎潤一郎の『痴人の愛』や『瘋癲老人日記』がSMテイストだったっけ?と思い出しても、なんだか随分あっさりだったような気がしてしまいました。
 めくるめく芝居を演じたのは、演出家・トーマス・ノヴァチェックを稲垣吾郎、女優・ヴァンダ・ジョーダンを中越典子。演出はロス・エヴェンス。翻訳劇の違和感もなく、大いに楽しめたのは、なによりも、脚本がしっかりとしていたからでしょう。役者の熱演もさらに味わいを濃くしたと言えそうです。ヴァンダという女優がなにやら謎めいた存在であるところが、芝居の陰影をさらに濃くしていたようです。
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2013年04月26日

現代につながるテーマ

 昨夜は久々のシアター・コクーンでの観劇。『木の上の軍隊』は原案・井上ひさしさん。2010年に亡くなるまで,この芝居を完成させたいと思っていた井上ひさしさん・・・・。その思いを何とか形にしようと、蓬莱竜太さんが仕上げた脚本だったようです。

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 出演は藤原竜也さんと山西惇さん、さらに片平なぎささん。舞台上には巨大なガジュマルの木があって、太平洋戦争に負けてから2年の歳月を大きなガジュマルの木の上で暮らした上官(山西さん)と新兵(藤原さん)の物語。ガジュマルの木の精(片平さん)がこの芝居の語り部。

 ともかく、第二次世界大戦で最後の地上戦となった沖縄が舞台。新兵は沖縄出身の素朴な青年、上官は本土から来て、すでに、幾たびかの修羅場を見て来たと言う。この二人の立場の違いが・・・この芝居の大きなテーマでもある。舞台上の巨大なガジュマルの木が新兵と上官の隠れ家であり、生活の場でもある。片平さん演じるガジュマルの木の精はこの芝居の語り部でもある。舞台脇でのビオラの生演奏がこの芝居の陰影を深める。
 新兵も上官も共に、飢えに苦しみ、さらに、米軍の残飯を前にして、ためらう思い、やがて、米軍の残り物に依存する暮らしへ・・・、そこに見える人間の愚かさ、悲しさ。

  実はこの芝居で見えて来るのは、敗戦さえも織り込み済みの本土の軍隊上層部、そんな彼らは沖縄を切り捨てて行こうという意志を持ち、それは、つまりは誰もが気づく今につながる問題。
 ガジュマルの木の上から眺める敵の陣地は日に日に大きくなって行く・・・.つまり、戦後の沖縄米軍基地の問題であり,沖縄と本土との意識の格差であり・・・これは、今なお横たわる大きな問題だと何よりも井上が、そしてその意思を汲んだ蓬莱の言いたかったのだろうな。
 もし、井上さんが現存したら、どんな芝居になっていたのだろうか?何よりも、3・11後について、どう考えるかと、気になりましたが、残念ながら答えはない。
 ガジュマルの木を上り下りする藤原竜也さんと山西惇さん、役者には大変な芝居だったのではと、単純にその演じる大変さを思いました。でも、久々のコクーンの芝居、今回は初のコクーンシートながら、しっかりと楽しめて、なりよりでした。
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2013年02月09日

芸術と政治、問われる問題とは?

 2013年初芝居は、モノレールに乗って天王洲アイルの銀河劇場で公演中の「テイキング・サイド」でした。

 高名な指揮者、フルトヴェングラーがナチス・ヒトラーに気に入られ、その結果、戦後に「ナチス協力者」の疑いをかけられ法廷に立たされた史実をもとに、その前に予備審問があったと言う架空の設定での物語。

 この予備審問を行うのは米軍少佐(筧利夫)、彼は権威などくそくらえ、クラッシックになんの関心もなく、高名な指揮者も「バンドマスター」と同列。ともかく、その審問に呼び出されたフルトヴェングラー(平幹二朗)は、最初、芸術は崇高、人々に慰めを与えるものとして揺るぎない自信をもっていたが・・・・、徐々に、少佐の無礼極まりない審問から見えてくるおのれの姿にプライドはずたずたに・・・・。
 
 後半、崇高なコンダクターではない裏の顔を暴かれていき、時代に翻弄されるひとりの人間として、潔白とは言い難いかも・・・・となっていくけれど・・・。
 その内面を無遠慮に暴く米軍少佐の筧さんも、自信たっぷりのコンダクターから徐々にただの人間へと落ちていくフルトヴェングラーの平さんも、まさに適役。

 それにしても、この芝居を見る観客はある意味、この審問の裁判員のような気分になった。芸術家にとってプライベートがどうあれ、結局、最終評価はその作品、その公演、その成果ではないでしょうか?どれほど、品行方正でも退屈でどうにもならない作品は問題外。後世に残るものではない。
 しかし、同時に、「政治と芸術」を無関係と思っていたフルトヴェングラーが後々気づいた、これを無関係にはできない、結局できるだけ避けようとしても、後々関連してくるという・・・・苦い思い。

 今も同じ思いがあるのではないか?いえ、これからもっとこう言う煩悶が広がるかもしれないと・・・考えさせられることばかり。

 というわけで、いろいろなメッセージがたっぷり詰まっていて、とても興味深い芝居でした。筧さんと平さんの言葉の応酬がすごくて・・・、こう言う芝居、大いに楽しめました。
 そうそう、プライベートまで暴かれたマエストロのことを、審問に同席する若いユダヤ人将校が『堕落した聖職者』と評します。彼は幼い頃にフルトヴェングラーの演奏に感激したという音楽愛好家ですが、その意味するところは「堕落しても、それでも聖職者であることは人々に神の慈しみを伝える存在』・・・と。なんか、凄く分かる表現だなぁ・・・。つまり、評価は単純ではない・・・、ということでしょう。
 よくある芸能人やら政治家やらのスキャンダルもそれだけで判断するのではなく、その仕事、その存在価値まで問うとしたら、まあ、評価は単純ではないってことかなぁ・・・なんて・・・ふと思ったりもしました。

 というわけで、この芝居は、あれこれと考え込むことの多い歯ごたえ充分の作品でした。だから、とうてい簡単に分かったなんて言えるものではないですし、そもそも一般人などに問われることではないかもしれないけれど、・・・でも、政治について抜かってはならぬ・・・、気づいたときは手遅れとならぬよう・・常に自分の考えを精査する必要を感じたりもした。時代と個人を問う作品・・・、あらためて、フルトヴェングラーの指揮する「運命」を聞きたくなりました。
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2012年09月28日

『エッグ』って何?

 チケットをとったのは、3ヶ月近く前。その頃にはまさか台風なんて予想になかったけれど、台風18号の影響で夕方から雨かも?という予報。一応、傘を持って、池袋、東京芸術劇場を目指します。野田秀樹さんが芸術監督の東京芸術劇場、ここしばらく改装のためお休みでしたが、今回『エッグ』でリニューアルオープン。

 平日ソワレでも立ち見も出る人気ぶり。野田地図第17回公演は当然、作・演出 野田秀樹。
 キャスト:妻夫木聡(安倍比羅夫)、深津絵里(苺イチエ)、仲村トオル(粒来幸吉)、秋山菜津子(オーナー)、消田監督(橋爪功)、野田さんは劇場案内係と芸術監督を兼ねて、大倉孝二さんに藤井隆さんも出演する豪華キャスト。

 それにしても、謎めいたはじまり・・・。五輪フィバーという感じで盛り上がるのは、この夏も見慣れた光景。ここでは『エッグ』と言う謎のスポーツが大人気。なかでも、人気プレーヤーは粒来幸吉・・・・、そこに農家の三男坊という安倍比羅夫が登場して、いきなり大活躍・・・・。とはいえ、肝心の『エッグ』のプレーは観客には見えない。ロッカールームで、観客の歓声などが聞こえるだけ。

 オリンピック、つまりスポーツと戦争は共に男の活躍の場・・・であるという。目まぐるしいほどにスピーディに展開するこの芝居では、いきなり『エッグ』のプレーヤーは男にもかかわらず、看護婦姿になってみたり、時代はドンドンさかのぼって、東京オリンピックへと場面転換。主要な登場人物の名前は、当時の円谷幸吉とアベベに由来するらしい・・・・。

 しかし、『エッグ』というスポーツの由来をたどって、さらに時代はさかのぼり、1940年東京オリンピック中止の報道となり、さらに満州での731部隊の細菌実験へと行き着く。
 更衣室のロッカーが小道具として大活躍。さらに、薄くすけるカーテンが時にガス室にもみえるようだったり、汽笛の音で時代を超えていき、いくつもの歴史が重なりあって・・・、重層的にすけて見えるのは、人間の残酷さだったり、にもかかわらず、かすかな愛だったり・・・。
 深津さん演じるロッカー、苺イチエは、粒来への愛、それを横取りした安倍比羅夫への思いなど、女の立場の複雑さを時に、アイドル風に、時にミュージカル風に表現して、刺激的。

 見ているものは、もうあれよあれよ・・・と野田さんの思惑とストーリーに翻弄される感じ。今回は、場面ごとに噂、つぶやきが時々の状況におかしな作用をしていくこと皮肉っている。野田さんは、マスコミとかツィッターなどに大いに懐疑的。

 ひょっとして予言者?って感じがしないでもない野田さん。これまで、度々、芝居と現実が不思議なリンクをしていく感じがあったけれど、今回、スポーツの熱狂から・・・戦争の熱狂へ・・・って、まさか・・・これからの日中関係を予言していないことを祈りたい。
 最後に、満州に置き去りにされる日本人、女性や子どもたち・・・・が、3・11の被災者と重なってしまうような・・・・、これは野田さんの抗議なのかも?と思ったりしました。

 役者さんも、椎名林檎さんの音楽も、美術、衣装、照明などと一体となった、総合芸術として見応えのある作品でした。野田さんは何を訴えたかったのか?何を読み取ってほしいのか?と、あとあとゆっくりと反芻することが出来る刺激的な芝居、だから好きです。

 台風は遠慮してくれたようで、結局、傘をさすこともなく、無事帰宅。

 ようやく遅ればせながら、庭のヒガンバナが咲き出しました。例年より、かなり遅くなっての開花、これはやはり夏の猛暑の結果でしょうか?
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 この時期の風物詩は、雀のねぐら入り。近くの街路樹、ケヤキに夕方いったいどこから集まったかというほどのたくさんの雀で、それはそれはにぎやか。まるで、ケヤキの木自体がざわめいているかのような・・・五月蝿さですが、不思議なことに、お気に入りなのはファミレスの『COCO'S』前のケヤキ。ケヤキ並木は長いし、他のもっと静かな落ち着きそうなところがいっぱいあるのに、なぜか・・・他には目もくれず・・・・、ひょっとして、夜中も明るく、人の出入りがあるところが安全ってことかなぁ???
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2012年09月03日

舞台はたのしいな!

 あっという間に9月です。9月になった途端に,お天気が怪しくなり,局地的な土砂降り、雷など荒れ模様のようです。昨日の明け方まで、まるで滝か?とおもえるほどの激しい雨が降り続いたけれど、それも、なんとか午前中にはおさまったような?この日は、久々の下北沢行きです。演劇の街、下北沢でも初の「ザ・スズナリ」へ向かいます。
 
 毎度、クオリティの高いお芝居を演じ続ける加藤健一さん率いる劇団の公演ということで,下北沢駅を降りたら小雨がパラついていて、本多劇場しか知らないので、やや不安を感じつつ歩いていく。本多劇場を過ぎて、最初の角にも劇場があるけれど,こことは違うので、角を曲がってみたけれど・・・だんだん・・・不安になって来た・・・。が、その次の瞬間、目に留まったはの少し先の『ざ・スズナリ』の大きな表示、やれやれ・・・。

 細い階段を上って、劇場内へ。初めての劇場って・・手探り気分で、こわごわ、でもちょっと楽しみ。

 狭い劇場だけに、もう座席はびっしり並んで,立錐の余地なし・・・。しかも、舞台近い・・・・、ってことは、やっぱりインパクトが違う感じ。

 さて今回の演目は『シューペリオール・ドーナッツ』 舞台はシカゴのちょっと治安のよろしくない街で親の代からのドーナッツ店を営む主人公アーサー、そこに雇われたバイトのフランコ、店の周囲の人々も絡んで,丁々発止のやり取りの中に、人生の苦い思いや複雑ないきさつが見え隠れして・・・、カトケンらしい・・・世界が繰り広げられます。

 狭い劇場ってことは、もう、目の前に役者さんですから、インパクトがすごい。やっぱり、大きな劇場で遠くに見るよりは、はるかに伝わる感じもします。ドーナッツ店の頑固なオーナー、アーサーを加藤健一さん、ふらりと現れたバイトのフランコ、しかし、これまでのアーサーのためらいがちな生き方を変えるきっかけとなる重要人物を、カトケンのご子息、加藤義宗さんが軽快に演じています。息子さんとの共演をカトケンさんも、ちょっと嬉しそう??

 ともかく、カトケンさんの芝居は、観客を裏切りません。ちょっと,微笑ましく、ほろ苦く・・・・人生を考え、でも、まだ諦めることなく次ぎなる一歩を・・・・ってメッセージが伝わるものでした。なんか、空腹で見たから、かもしれませんが、『シューペリオール・ドーナッツ』たぐいまれなるドーナッツをちょっと味わいたくなりました。時代の流れもあって、この店も『スタバ』に押されていたようですけれど、この店を愛する人たちの心温まる交流の場としても続いてほしい・・・って思うような、あったかな芝居でした。
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2012年07月02日

不条理劇、現実も不条理

 昨日は久々の、実に3ヶ月ぶり?の観劇でした。目指すは新国立劇場、しかし、出かけるまでにいろいろとドタバタがあって、予定より遅い電車で向かうことになってしまい、到着はギリギリ・・・、滑り込みセーフ。やれやれです。
 
 この日観劇したのはノーベル賞受賞作家、ハロルド・ピンターの『温室』。演出は深津篤史、出演は段田安則、高橋一生、小島聖ほか。

 初のハロルド・ピンター作品ですが、今回、舞台が中央に据えられて、前後に観客がはいり、さらにバルコニー席も左右にあるので、いわば、360度の舞台。左右壁面には鏡もある。赤い家具が置かれていて、どうやら、ここはある国立の療養所?的なものの所長室らしい。所長の段田さん、部下の高橋さんとの対話からはじまる。なんと、中央の舞台がゆっくりと回転し始めた時には、目の錯覚かとビックリしました。以前に、やはり段田さん出演の『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』の舞台も360度でゆっくりと回転していたことを思い出しましたっけ。
 ・・・この療養所的ななにやらいかがわしげな施設では、患者を名前ではなく、4桁の番号で読んでいる。クリスマスの日に、ここで一人の男が死に、一人の女が子どもを出産したという。これはこの施設にとっては重大事件・・・・ということで、その真相を探すことになるのだが・・・。
 
 誰もがあやしげで、そもそも、この施設がきわめて怪しい存在。若い職員が電気ショックの実験台にされるところは、『カッコーの巣の上で』など、ロボトミー的な処置にも見えたし、観客としてどこまで読み取れるのか?眼力が問われる作品だなぁ・・・。ゆっくりと回転していた舞台が、不安をあおるようにスピードを速めたり、不協和音が恐怖を表現したり、つまり、分からないなりに、国家というものが作為的になすあやしげなことを、この施設や職員などを通して現しているのだろうか・・・。
 今の政治の怪しげな状況とどこかで密かに深くつながり、その危険を暗示しているようにも見えました。

 不条理劇というと、同じ演出家の『象』(別役実作品)もありましたが、分からない・・・・、とらえどころがない・・・と思っているうちに、徐々にもしかして、こういうことだったのか?となんとなく見えて来るものがあると、いっそう印象深くなる、忘れられなくなる・・・これもまた、そういう作品かも知れません。

 というわけで、終了後、近くの新宿中央公園で、大飯原発再稼働反対の集会があるということで、通りがかりにちょっとのぞいたら、まだ、始まる前、スタッフ打ち合わせ等やっていて、若い人たちがいろいろ注意事項など確認していた。その後、三々五々・・・というか、圧倒的にひとり、ひとりで参加する人たちは若い人が多く、頼もしく思えました。警察もたっぷりと警備にあたっていたみたい。というわけで、デモ出発は、見送らず、早めに帰途についたのでした。

 無理矢理という形で、大飯原発は再稼働したけれど、がっかりしたり、敗北感を持つ必要はない・・・と思う。すべては、これから・・・、持続的に意思表示をして、野田とその背後のわけの分からない連中を追いつめたい。絶対・・・・追いつめるぞ・・・。

  日本人初の宇宙飛行士でジャーナリスト、その後、福島県で農業に従事していた秋山豊寛さんは、福島第一原発から32キロという地で暮らしていたため、避難民となった。そのいきさつなどを綴った『来世は野の花に』で、先の見えない避難民となった自分にとって生きる支えは激しい怒りだったと。「放射線量が高いと分かっても子どもたちを避難させない文科省や福島県知事、原子力ムラの連中への憎しみが、この時期の生きる支えだった」
 さらに、胸の奥の怒りが燃え盛る頃、取材に訪れた記者に気持ちを訊ねられ、「秋に稲刈りをしたら、わら人形をつくり、原子力ムラの連中の名前を貼り、クギを打ち込みたい思い」と語ったという。
 大飯原発再稼働に対して、福島から避難を強いられている方々の思いもきっと、同じだろう・・・。それを無視した原発推進派に報いはあってしかるべき・・・と。
 
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2012年04月02日

お久しぶりのシアター・コクーン

 昨日はエイプリル・フールとはいえ、別に誰かをかつぐでもなく、かつがれるでもなく・・・ごくふつうの日曜日でした。まあ、祖母のひとりが亡くなったのが何年か前のこの日で・・・、おかげで命日を忘れない・・・って良いことなのかな?

 それはさておき、目下シアター・コクーンで公演中の芝居『ガラスの動物園』を見に行きました。しばらく改装中だったようで、その間とその後もご無沙汰続きでした。なんと、2010年10月の『タンゴ』以来・・・って、まさにお久しぶりの極み。『タンゴ』も今回の『ガラスの動物園』も演出は長塚圭史さん。目下、かなり気になる演出家のひとりです。

 『ガラスの動物園』はアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズの出世作。『欲望という名の電車』は本当にずしんと心に迫る作品だけに・・・、これも期待大です。
 自身の家族をモデルにしたような・・・・、自伝的要素が強い作品。特に、瑛太さん演じるトム・ウィングフィールドは、テネシー・ウィリアムズを彷彿とさせる文学青年。
 その姉で極度に内向的なローラ・ウィングフィールドを深津絵里さんが演じ、二人の子どもに自分の叶わぬ夢と幸せを強要して、息苦しくされる母親、アマンダ・ウィングフィールドを立石涼子さんというキャステング。さらに、2幕にはトムの職場での唯一の友人として登場するジム.オコーナーを鈴木浩介さんが演じている。
 1930年代のアメリカはセントルイスが舞台。大恐慌後、スペイン内乱なども起っている閉塞感に苦しむ時代が背景にあって、さらにこの一家の家族関係も非常に息が詰まる感じ。トムの回想として、この芝居は始まります。母親も悪い人ではないらしいけれど、まあ、自分の思い通りにしたいタイプゆえに、夫はとっくの昔に逃げ出している。そして、どうもトムもこの息苦しさから逃げ出したい気配。
 
 足が少々悪くて、引っ込み思案、人と付き合うのが苦手中の苦手と言うローラは、ビジネススクールからも逃げ出し、わずかな楽しみはガラス細工の動物たちを眺め、いとおしみ、父の残した古いレコードを聴くことだけ。
 そんな一家にある日、母にせっつかれて、トムは職場の友人ジムを食事に招待する。ジムはローラにとって高校でのあこがれの青年だった。明るく好青年のジムのおかげで・・・シャイなローラの心も打ち解けて来て・・・、かすかな光明が見えたかに思えたが・・・・。
  
 明るくて前向きな好青年なのに・・・・それゆえに?それにしても、ちょっとえ?って感じの無神経さ?というか、意外な展開に、テネシー・ウィリアムズさん、どうなの??って聞きたくなりました。

 ともかく、何度も上演されているだけに、奥深く、味わい深い作品。誰もが、登場人物の誰かに共感したり、自らを重ねあわせたりできそうです。母親って、子どもにとって大なり小なり問題なのかもなぁ・・・と、思わず自分を顧みてぞっとしたり・・・、子どもの立場からは母の期待に応えられない苦悩も分かるなぁ・・・とか、逃げ出したくもなるよね・・・とか。

 そんなドラマをくりひろげるのは、がらんとした灰色の広くシンプルな舞台。そこに時間の流れやたゆたう思い、運命を表現する存在としてダンサーたちを使って、面白い演出効果を発揮していました。彼女たちは、時にテーブルや椅子などを配置したり、移動したり・・・黒子的役割も果たしていて・・・行き詰まるような物語に動的な魅力を加えているようで、新鮮でした。

 演出によって、観客の受け取り方は随分ちがったものになるのだろうな・・・と、興味深かったです。キャストはみな、なかなか良くハマっていて・・・、良かったんじゃないでしょうか?
 
 好みのタイプの芝居だったので、見終わって・・・ちょっとテンション高めになりつつ、車中でパンフレットを読んで、おさらいしながら帰宅したのでした。
 
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2012年03月04日

報復はむなしい・・・!!

 本日、野田秀樹さんの芝居『The Bee』を見に行きました。これはある意味、野田さんの作戦にまんまと引っかかったと言えなくもないかもしれません。新年に届いた野田さんからの手紙?に『海外から素晴らしい作品や役者やらが訪れているのですが、日本のお客様はなかなかそうしたものに目を向けない。心が向かない傾向にあります』『英国俳優キャサリン・ハンターは稀代の怪優です。こんな役者が日本にやってきて、小さな劇場で目の前で誰も見たことのないような芝居をしてみせるというのに、それを見ない手はないぞ、日本のお客さーん』ということだったので、思わずチケットを取ってしまいました。

 池袋の東京芸術劇場が改修工事のためか?水天宮前駅に近い学校の校庭につくられた水天宮ピットでの公演。確か、以前にも公演があったと思うけれど・・・そのときは見ていなくて・・、今回初見でした。これは9・11、あのワールドトレードセンターへの突撃とアメリカのイラク戦争への野田さんなりの答えでしょう。

 ある日、サラリーマンの井戸が帰宅しようとすると、脱獄犯によって自宅は妻子を人質に取られていた・・・そこから、井戸の報復が始まる・・・ということですが、結局むなしい・・ただ単にエスカレートして行く状況をみせつけられる・・・ということだったようで、これはブッシュ元大統領に見せるべきものかなぁ??でも、結局、野田さんが指摘するように、人間はだれでも、自分には甘く、他者には過酷だと言う・・・「暴力」と「不寛容」への傾斜を危惧するからこそ、その状況を改善するには、まずは事実を知ることでしかない・・・ということでしょうか??

 ついでに、昨年の『南へ』でも感じたけれど、野田さんはマスコミの傍若無人な取材ぶり?特にTVのずかずかと踏み込むような取材に対して、痛烈に批判的に描いているように思いました。しかし、その野田さんの思いを分かることはTVのWS取材陣には??ないのかなぁ??

 ともかく、言語の違いを越えて、ダイレクトにメッセージは届いた・・・と言える芝居だったと思いました。多分、芝居が終わってからも見た者は何度も反芻して・・・考えさせられる・・・ということは、やっぱり、ブッシュのみならず、世界の権力者が見た方が良いようにも思いました。
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2012年02月12日

お久しぶり!渋谷

 渋谷まで出かけたのは何ヶ月ぶり?昨年5月からほぼ10ヶ月近くは経ているでしょうか?まあ、渋谷はかわらず人がざわざわと多い街で、無事に存在していました。パルコ劇場で三谷幸喜さんの『90Minutes』という芝居が追加公演されるということで、運良くチケットが取れたので出かけたのでした。
 芝居が始まる前に、西武の地下で知り合いへちょっとしたプレゼントを購入しようと立ち寄ってみたら、バレンタインデー直前のわりには混んでなかった。なんか、TVの情報番組だかでは・・・行列みたいな報道があったので、混み合っていて時間を取られたら困るなぁ??と思ったけれど、心配は無用でした。あれこれショーウインドウを覗き込んで、結局、まあ、お値段相談で購入して、パルコ劇場へ。

 『90 Minutes』という芝居のテーマは『倫理』だという。はて?どんな内容かと・・・まるで白紙状態で見た。実際にあった事件を元にしつつ、しかし、当事者をどうこう追求するものではないというテロップが冒頭にあった。

 ある日、交通事故で緊急手術が必要な少年が運び込まれ、その命をめぐって、整形外科の副部長は手術を拒否する父親への説得が求められる。タイムリミットは90分。刻々と生存確率が減って行くさまを表現するような一筋の水滴がしたたり続けるシンプルな舞台。少年の父親は特殊な宗教?閉鎖的な地域?の中で、緊急手術のための輸血に抵抗して、手術の同意書にサインをしない。医師としては、手術で助かる命をなんとしても助けたいから、ありとあらゆる方法で説得に努めるが、どうにも話が空回りして・・・時間はどんどん減って行く・・・。
 

 結局問われたのは医師の倫理?少年の命を助けるために、自らのエゴ?をどこまで捨てられるか?理不尽な論理を突きつける父親にどこまで自己犠牲できるか?ってことになるのかなぁ?父親の妙な理屈にもならない理屈に振り回される医師が気の毒になりそう?
 
 三谷さんの舞台『笑の大学』以来の西村雅彦さんと近藤芳正さんの二人芝居。伝説?的舞台の再来?膨大な台詞に圧倒され、二人のキャラクターがあまりにぴったりで、さすが三谷さん・・・なんて思ったり。でも、私は・・・この芝居のその後をあれこれ想像して・・・、実は、今回の医師の決断の先にも倫理について問われる問題は波紋を広げて続いていく・・・・ってことではないだろうか?・・・と思ったりしました。それだけ、深いテーマともいえるでしょう。

 さすがに面白い、刺激的な芝居を堪能して、今年初の芝居を大いに楽しめて良かったです。それにしても劇場入り口で山のような芝居のチラシをもらったけれど・・・、どんなに見たくてもそんなに、おつき合い出来ないのが残念だなぁ。
posted by norarikurari at 19:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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