2014年03月02日

時代を透視する芝居

 久々の渋谷での観劇です。あいにくの雨、まあ、雪でないことを喜ぶべきか?

 ともかく、この芝居に関して、ちょっと前に一通り感想を書き終えたのに、うっかり全部消えたというオソマツ。まったく、その瞬間ほどがっかりすることはない。さほど大したことは書いていないが、一から書き直すのはかなり悲しい出来事。自分がうっかりしたせいなので、誰にも文句はいえませんが。

 ともかく、久々にパルコ劇場での観劇は、三谷幸喜作品『国民の映画』。2011年に、あの東日本大震災を挟んで上演されたという記念すべき作品でしたが、その時はチケットも取ってなかったし、取れなかったし?ということで、今回の再演が待ちかねたものでした。

 これは、1941年、ナチスの宣伝相ゲッペルスの館での一夜のパーティが舞台。映画をこよなく愛するゲッペルスが、新たな作品を製作しようと、映画関係者を集めた。そこに警視総監ヒンメルやゲーリングもやって来て、さてどうなるかと言う群像劇。映画人が、映画製作のためには、なりふり構わず時の権力にこびる様もある意味、悲喜劇。
 これって過去のお話とのんきに登場人物の思惑を楽しめるかと思ったら、なんと、「政治家に少しの知恵と、国民に少しの勇気があれば、この事態はなかった」って・・・それ、今のことでしょうか?と、どきり。
 映画をこよなく愛するゲッペルス・・・とはいえ、2幕になると、彼も、ヒンメルもゲーリングも、「あの方=ヒットラー」の意向を疑うこともなく、ユダヤ人殲滅作戦を相談する。ゲッペルスの忠実な執事、何よりも映画を愛し、目配り完璧な出過ぎないフレッツがユダヤ人であったと発覚し、するとゲッペルスも救いの手は差し伸べない。みな、我が身が大事?
 役者が皆、芸達者で、本当に上手い。だからこそ、この芝居が面白くも恐い・・・となった。
 想像以上にシニカルな展開で、しかし、「どんな政権も永遠ではない」との予言通り、あっという間に登場人物の多くはドイツ敗戦で命を失う運命。それにしても、これは単に時代に奔走される人々の悲喜劇・・・と言う以上に、いまを批判する作品となっていたことに驚きました。都内各地の図書館で「アンネの日記」に関連する書籍が引きちぎられる事態・・・それは、このナチス時代の反ユダヤ主義の亡霊がいまここに・・・ということなのか?芝居が時代を反映する、時代が芝居を後押しする?なんだか分からない不気味さを感じたわけです。

 
posted by norarikurari at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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